将来への航海、立ち止まらない 高校生作家・新胡桃さん
受験シーズンが本格化してきた。コロナ禍で岐路に立つ高校生たちは、どんな思いを秘めているのか――。昨年16歳でデビューした現役高校2年生の作家、新胡桃(あらた・くるみ)さんに寄稿してもらった。
「問題を配ります」
有無を言わせない重石(おもし)のような声が、教室を支配する。私達(たち)は色褪(あ)せた上履きの先をそれぞれ揃(そろ)え、丸くなっていた背筋を少し張らせ、解答用紙の白さに負けてしまわないよう態勢を整える。
コロナウイルスという言葉が日常に溶け込んでからもう、何回目の定期テストになるだろうか。シャーペンのカチカチという音、先生の足音。換気のために窓から細く吹く風は限りなく冷たくて、私達の指をゆっくり鈍らせた。それでもページをめくり、漢字、数字、記号など、膨大な情報の海に飛び込まなければならない。
ネットサーフィンという言葉があるように、SNSは広大な海によく例えられる。一度上げてしまった個人情報は大小さまざまな波にさらわれて、もう完全に消すことは出来ないのだ。アカウントという小さな船をいくつも操縦して、それぞれにおいて相応の振る舞いをする。砂粒の数のような、気が遠くなる量の意思がそこにはあるわけで、同じ政治志向の人々がエネルギーを集結させて造る大津波や、海底で様々なニュースが発せられた時にコミュニティーそれぞれで孤独に共有する揺れなど、起こるドラマは枚挙に暇(いとま)がない。コロナ禍においては、さらに大きく航海する必要性が高まった。電波上でしか人と繫(つな)がることが出来ないからだ。
私達デジタルネイティブ世代にとって、配信授業もZoomを用いたホームルームも、そこまでハードルの高いものではなかった。「遠隔の方が自分で予定組みやすいから、ずっと休校でいいかな」と半分本気で言う子も多かったし、そうでない子達も「仕方ないから今は我慢」とおまじないのように繰り返した。電波の奥で私達は皆、笑っていたのだ。
絶望だの窮地だのディストピアだの、そういうものはもっと劇的に訪れるのだと思っていた。一寸先の未来も見えないような不安に胸が圧(お)されたり、涙を流して平和な日々を渇望したり、とにかく明確に「生きたがる」のだと信じていた。こんな中途半端に気怠(けだる)く、陽(ひ)の光を避けて体の重量を疎ましく思うだけの日々も、ピントがぶれているだけで何となく予測できる国の未来も、完全に新鮮味を失った画面越しの出席確認も、絶望ではなかった。だから、「なんとなく」嫌なだけだから、笑うしかないのだった。
一年先の進路、十年後の自分達。普段から慣れ親しんでいるインターネットより、なんとなく気持ちの悪いコロナ情勢より、将来の方が余程怖かった。誰かのツイートもインスタの投稿も、今日の感染者数も、今この一時より過去のもので得体(えたい)が知れている。しかし確かにそこで息をしているのに、私達の将来はぽっかり空いた未知だった。
夏ごろから一月現在まで多くの高二生が、バラバラの方向に羅針盤をセットしたのだと思う。行きたい大学、就きたい職業。誰に言われたわけでもない。コロナ禍だろうが何だろうが、全く知った事ではない。どんな状況であろうと、自分で選択した海原へ舵(かじ)を切っていく必要がある。私達の「将来」という大地は、国の政策も電子のネットワークも届かない場所にある。自分の足で辿(たど)りつかなければならない。
巻かれた前髪を触りながら解答用紙に目を落とす彼女も、寝ぐせの激しい彼も、私も、誰一人として立ち止まってなんかいなかった。コロナ社会を障害と思うまでもなく、無我夢中で大人に近づくためにいま、生きている。
「解答終わり」
糸が切れたような安心感が教室を包み、にわかに教室がざわざわし始めた。皆思い思いの感想を口にして、マスク越しに笑う。解答用紙が瞬く間に先生の手元へ吸い込まれていく。紙がかさばる音に合わせて、私達のエンジンがまた、加速した。
特別な日常は存在しても、こと特別な未来なんてものはない。私達は果てしない海路を、いつもと何ら変わらずに少しずつ、進んでいく。新天地と思えるその場所に、それぞれが降り立つまで。
◇
あらた・くるみ 2003年大阪府生まれ、東京都在住。20年、高校生3人の葛藤を描く『星に帰れよ』(河出書房新社)でデビュー。文芸賞史上2番目に若い16歳で、同賞優秀作を受賞した。現在高校2年生。
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