第3回「武力行使はあるか」 各国の腹を探った小和田外務審議官の情報外交

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前回のあらすじ

 1990年、イラクのクウェート侵攻により、世界を揺るがす湾岸危機が発生した。90年11月、イラクを訪問した中曽根康弘元首相はフセイン大統領との会談などを経て、「人質」状態となっていた邦人74人と帰国した。

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 中曽根氏のイラク訪問と同じ90年11月上旬、海部首相から「各国と突っ込んだ意見交換を」との密命を受け、世界を飛び回ったのが小和田恒外務審議官だった。次官級の外交官によるソ連や欧米との情報戦が一連の「極秘」文書に鮮烈だ。

 まずモスクワへ。11月1日、ソ連のゴルバチョフ大統領の外交ブレーンであるプリマコフ大統領会議員と向き合い、ひざ詰めで腹を探った。米国主導で湾岸危機の対応が進むなか、冷戦終了後も中東に影響力を残すソ連の出方を見極めるためだ。

 3日付公電によると、プリマコフ氏はフセイン氏との2度の会談をふまえ、クウェート撤退をめぐり「一定の軟化が見られた」として条件のない「最後通牒(つうちょう)的な撤退要求はだめだ」と主張。そこで小和田氏は「撤退を本気で考えているとの判断に至るだけの証拠、材料は」と問い、答えに納得できないと「明確に示すようなインディケーションはあったか」と詰めた。

 最終的にソ連が武力行使に踏…

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