「福田村事件」の核心は 物語化と想像力が映す集団心理の恐ろしさ

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評論家/近現代史研究者・辻田真佐憲=寄稿
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評論家/近現代史研究者・辻田真佐憲さん 寄稿

 今年で発生100年を迎えた関東大震災をめぐっては、朝鮮人や社会主義者にたいする虐殺に注目が集まりやすいが、じつは日本人も犠牲になっていた。福田村事件はその一例だ。

 9月1日に公開された「福田村事件」(森達也監督)は、その史実をベースにしながらも、ときに大胆に創作も加えた劇映画である。

 劇映画とは、ある種の物語性が欠かせない。ここでいう「物語」とは、事件や出来事に意味付けを与え、ときに分かりやすく図式化し、人物の本質を生き生きと魅力的に描写することで、過去の事象と読者・視聴者をなめらかに接続する技法およびその成果物を意味する。

 近年、このような物語化への視線がますます厳しくなっている。とくに史実をベースにしている場合、たとえ虚構をうたっていても「ここが違う」「あそこが違う」とさまざまなツッコミが入ってしまう。もちろん、正当な指摘もあろう。だが、筆者はまず、この一般にほとんど知られていない事件をあえて物語化し、多くの観客に届けようとしたことを肯定的に評価したい。

 福田村事件の概要はこうだ。関東大震災の発生から5日後の1923年9月6日。千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市内)で、香川県から薬の行商にきていた一行15人が、地元民から「お前らの言葉はどうも変だ、朝鮮人ではないか」と言いがかりをつけられ襲われた。その結果、9人が殺害された。

 犠牲者のなかには、就学前の児童に加えて、妊婦までいた。胎児を含むと犠牲者の数は10人に達する。

「村を守る」という大義名分のもと

 この痛ましい事件の背景には…

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