高校で入部を断られた過去も エース区間で22人抜き古賀淳紫の信念
安藤仙一朗
(1日、全日本実業団対抗駅伝)
第1中継所を35位でスタートした。
前を追い、無我夢中で走っていると近寄ってきたテレビ中継のバイクリポーターの興奮した声が聞こえてきた。
「安川電機の古賀、19人抜き!」
安川電機の入社9年目、古賀淳紫(きよし)(27)はうれしかった。
最長21・9キロの「華の2区」を任された自分の役割は、会社の名前をアピールすることだと自覚していたから。
最終的に22人を抜き、チームを13位まで押し上げた。
昨年、チームは新型コロナウイルス感染の影響でレース直前に出場を辞退していた。
ごぼう抜きで見せ場を作り、「(昨年)走りを見たかったと言ってくれた人が結構いた。個人と会社(の名前を)しっかり出せたのでよかった」と胸を張った。
小学2年から中学3年までは軟式野球をしていた。
野球部内でトップクラスの持久力があったことから、父に長距離走を勧められ、久留米市と県境を挟んで隣り合う佐賀県鳥栖市の強豪、鳥栖工に進学した。
ただ見通しが甘かった。
鳥栖工のランナーは中学まで…