第2回戦犯に問われずとも…朝鮮出身の「某」ら、インドネシアで消えた足跡
BC級戦犯として有罪判決を受けた日本軍の朝鮮出身者は148人。軍人は中将に上り詰めた洪思翊(ホンサイク)ら2人だけで、大半は東南アジアなどの捕虜収容所で監視員を務めた軍属だった。その足跡はほとんど残っていない。戦後、日本からも韓国からも関心が失われてしまった彼らはどんな人たちだったのか。
約1400人の朝鮮出身の監視員が配属されたインドネシア。首都ジャカルタの雑居ビルが連なる一角に「福祉友の会」の事務所がある。第2次世界大戦後、宗主国だったオランダと戦ったインドネシア独立戦争に参加した元日本軍兵士たちが設立した組織だ。中に入ると、60人の男たちの肖像画が掛けられていた。
祖父が元兵士だったミアガ・プアナ・タナカ(31)は「今は全員、インドネシアの親族が準備した墓地で眠っている。カリバタ英雄墓地に埋葬された人もいる」と語る。
カリバタ英雄墓地では、天皇、皇后両陛下が2023年6月に供花した。日本の政治家や自衛隊関係者の訪問も絶えない。独立戦争に参加した元日本軍兵士らは約900人。うち約600人が戦死したとされる。
インドネシアに残留した日本人兵士たちの記録が残り、手厚く葬られているのと比べ、朝鮮出身者のその後は対照的だ。
【連載】忘れられた朝鮮人戦犯
来年は終戦80年。戦時中の東南アジアには、朝鮮半島出身の日本軍高官がいました。多くの朝鮮人が捕虜収容所に監視員として配属されました。戦後、軍事法廷で有罪となった彼らはどんな人たちだったのか。記者が足跡をたどりました。
インドネシア残留者 日韓で異なる記憶
現地在住の韓国人らが20年…
- 【視点】
戦争下で、当事国のいずれにも属さない人が前線で戦っているという状況は、現代でも見られ、その人たちの行く末についても思いを馳せる機会となりました。 ロシア・ウクライナ紛争では、これらの国に家族がいて軍に参加する外国国籍の兵士だけでなく、給与
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