届かなかった中止命令の暗号 終戦前夜の秋田・土崎空襲強行はなぜ

有料記事

編集委員・石橋英昭
[PR]

東北空襲・考3

 1945年8月14日夜から15日未明にかけて、米軍はB29による最後の空襲を実行する。標的は、16回目の中小都市空襲となった埼玉県熊谷、群馬県伊勢崎と、秋田市土崎にあった日本石油秋田製油所。土崎では周辺住民も含め250人以上が犠牲になった。

 日本の降伏は確実だった中で、なぜ土崎は襲われたのか。

 地元紙・秋田魁新報の元記者で、秋田ケーブルテレビに在籍する西村修さん(69)は、その答えを探し続けてきた。

古書店で偶然見つけた米通信兵の手記

 きっかけは10年ほど前、東…

この記事は有料記事です。残り1285文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

この記事を書いた人
石橋英昭
編集委員|仙台駐在
専門・関心分野
東日本大震災、在日外国人、戦争の記憶
DO YOU KNOW NAGASAKI? アメリカで聞くナガサキと原爆

DO YOU KNOW NAGASAKI? アメリカで聞くナガサキと原爆

原爆の使用は「正当だった」と考える人が多いとされるアメリカ。被爆者と直接対話した人々は、何を感じたのか。[もっと見る]