「民主主義は終わる」松岡洋右は予言した 歴史が相似形を描く世界で
100年をたどる旅~未来のための近現代史~①「戦間期」の悲劇
きょうも戦火が人々の命を奪う。世界は再び大戦に向かうか、引き返せるかの分かれ目にある。歴史は繰り返さないが、韻を踏む。来年の戦後80年を前に、私たちは二つの世界大戦の間の「戦間期」に着目したい。いったん平和が築かれ崩壊したこの時代から百年規模で歴史を問い直し、現在の立ち位置を見定め、未来に必要なものを探る。
「民主主義と全体主義の戦いでは、後者が間違いなく勝利し、世界を支配する」「民主主義体制は破綻(はたん)し、民主主義の時代は終わる」。個人の自由や人権より国家の個人統制を重視する「全体主義」の勝利をこう主張したのは、1940年7月に外相に就任した松岡洋右だった。当時のジョセフ・グルー駐日米大使がコーデル・ハル国務長官宛てに送った公電に、米紙のインタビューで松岡が「バックグラウンド」として語ったことが記されている。
松岡は、政府全権代表として33年に国際連盟を脱退し、総会から退場したことで知られるが、40年8月に「大東亜共栄圏」を提唱。翌9月には日独伊の「枢軸」による三国同盟を結び、日米開戦を決意した日本は翌年12月、真珠湾攻撃に踏み切る。
第1次世界大戦後の20年に国際連盟ができ、世界は民主主義と資本主義優位の国際協調の秩序へと歩み始めた。ところが、グローバル化の弊害で過当競争と格差がもたらされ、29年の世界恐慌で大衆の不満が膨らむと、それを利用しようとするポピュリズムが台頭。自国第一主義がはびこっていた民主主義とファシズムが交錯した。
第1次大戦で敗れたドイツは民主的なワイマール憲法を制定したが、ヒトラー率いるナチスが一党独裁体制を築き、再軍備を宣言。38年のオーストリア併合など欧州で猛威を振るう。
戦勝国だったイタリアでもファシスト党のムソリーニ政権が誕生し、35年にエチオピアに侵攻した。アジアでは、日本が25年に普通選挙を導入したが、軍部が台頭し、31年の満州事変を経て日中戦争に突入した。
民主主義国で内政が混乱するのを尻目に、資源や植民地の少ない「持たざる国」が欧州・アフリカ・アジアの3地域で起こした局地紛争は、この3国が「枢軸陣営」を形成したことで緩やかに結びつき、第2次世界大戦へ発展していった。
分断、ブロック化、既存の秩序への不満… 動き出す指導者たち
そして今は、民主主義と権威主義が交錯する時代に入り、新たな「枢軸」が語られ始めている。
米国のジョンソン下院議長(…