うめきた2期、貨物駅の「証し」残す 一抹の寂しさも「何か感じて」
9月6日に先行まちびらきしたJR大阪駅北側の再開発地区「グラングリーン大阪(うめきた2期)」。その地にかつて、広大な貨物駅があった。11年前に長い歴史に幕を閉じたが、駅があった「証し」を残す取り組みが進められている。
大阪駅北側にあるJR西日本の施設の敷地に7月まで、あるモニュメントがあった。貨車の車輪や車軸、車止め、枕木が置かれ、「この地に梅田駅ありき」との言葉が刻まれた石碑には、こう記されていた。「ここに、これまで、この地で、大阪の生活と産業を支えてきた梅田駅に心より感謝の気持ちを捧げる」
モニュメントの設置に関わったJR貨物関西支社の西田裕一企画室長(61)によると、2013年にJR貨物梅田駅が廃止されるのを前に、歴代の駅長らから「駅があったことを示すものを残せないか」と要望があり、JR西日本の協力を得てモニュメントを作った。完成後、JR西日本の敷地に仮置きしていたが、2期の先行まちびらきを機に、JR大阪駅(うめきたエリア)地上部の施設(建設中)内に移す予定だ。
駅の歴史は古い。大阪―神戸間に西日本初の鉄道が開業した今からちょうど150年前、大阪駅貨物取扱所として開設された。その後、取扱量の増加で大阪駅から分離し、大阪荷扱所として発足。1928年に梅田駅と改称した。
高度成長期には貨物取扱量が年間300万トンを超える時もあった。鮮魚や野菜など特産品を積んだ貨車が各地から到着し、特に年末には、北海道からの海産物がホームにあふれた。昆布などの束を見ると、職員たちは駅が大阪の台所を支えていることや、正月が近づいたことを実感したという。
だが、道路網の整備に伴うトラック輸送の増加などの影響で、鉄道の貨物輸送量は減少傾向になった。梅田駅でも貨物取扱量は年間200万トンを切るようになった。巨額の借金を抱えた国鉄が87年に分割民営化されたのに伴い、駅の売却方針が決まった。
国鉄時代の82年に入社した…