郡山城は前方後円墳の上に築かれた? 石材や埴輪片が意味するものは

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今井邦彦
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 「郡山城の天守閣は、前方後円墳の上に築かれた」。ある見学会で郡山城跡(奈良県大和郡山市城内町)を訪ねた際、そんな話を耳にした。考古学の話題を取材して20年以上になるが、初めて聞く話。何人かの考古学者に聞くと、それなりに根拠があるらしい。そんな幻のような説を追った。

 インターネットの地図サイト「Google Earth」で、郡山城の本丸の航空写真を見てみた。確かに、天守台のある北半分を後円部、現在は柳沢神社がある南半分を前方部とすると、前方後円墳に近い形にも見える。

 遺跡や古墳の石材を研究している奈良県立橿原考古学研究所の奥田尚・特別指導研究員は、2年前に刊行した研究報告書で、郡山城の本丸が全長約150メートルの前方後円墳の上に築かれたという推定図を発表した。

その立地に注目

 その根拠の一つは、天守台東…

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