第6回希望を託す「みんなの家」 困難に終わりはない それでも集い、前へ
能登半島地震から、まもなく1年。
倒壊した建物の解体撤去が急ピッチで進み、まちの風景がみるみる変わっている。
同時に、決断の時期も迫ってきた。どんな住まいをつくり、まちをどういう形で再建していくのか――。
【連載初回はこちら】避難所で始めた「復興会議」
能登半島の先端にある「狼煙」集落。地震で傷つき、まちの再生に向けて模索を続けた住民たちの1年を追います。
能登半島の先端、石川県珠洲市狼煙(のろし)町。11月9日夜、集会所の和室に大きな地図が広げられていた。
狼煙町第1区(通称・狼煙)と第2区(同・横山)の住民たちが、家の近い人同士でグループに分かれ、地図を囲む。
市の担当者や復興計画づくりに関わるコンサルタント会社のメンバーの助言を聞きながら、災害公営住宅を建てるとしたらどこにどんなタイプがいいのかなど、希望することや気になることを書き込んでいく。
市は、めざすべき復興の形を探るため、こうして地区ごとに住民の意見を聞き取っている。
狼煙の仮設住宅で暮らす三輪幸子さん(76)は「本当は、ちっちゃくてもいいから、自分の家があった場所に家を建てたい」と話した。
元日、三輪さんが自宅のコタツでテレビを見ているときに、地震が起きた。
神棚が飛び、ガラス戸が割れ、天井が落ちてきた。ケガはなかったものの、倒壊した自宅に閉じ込められた。
手元にあったスマートフォンで遠方の息子に電話し、息子から連絡を受けて駆けつけた集落の人たちが助け出してくれた。
金沢市に避難し、狼煙に仮設住宅が完成した8月、ようやく戻って来ることができた。
外を歩くには杖が手放せない。それでも夏休み期間中は毎朝、仮設住宅のすぐそばであったラジオ体操にイスに座って参加した。
「ここはみんな知った人ばかりやから」とほほえむ。
仮に自宅を再建しても、離れて住む子どもたちが戻ってくる予定はない。
現実的には、災害公営住宅が建てば、そこに入るのか。
いずれにしても確かなのは、この狼煙で生きていきたい、ということだ。
住民たちの悲願、集会所の再建へ
3日後の11月12日、狼煙の集会所に小さな立体模型が届いた。新たな集会所として来春の完成を目指す「みんなの家」の模型だ。
奥能登の町並みを象徴する黒い能登瓦に、太陽光パネルが載る。外壁は、板を階段状に重ねた下見板張り。吹き抜けの土間と畳の部屋と、大きなキッチン。建物の横には、このまちにとって大切な2本の桜の木が据えつけられている。
見に来た高齢女性が「ほんと、すてきやわぁ」とつぶやいた。
いつになくやわらかい表情で見守っていた区長の糸矢敏夫さん(69)は「みんなが集まれる、こういう場所ができるといいね」と言った。
発災翌日から住民たちが身を寄せたこの集会所は、壁にヒビが入り、窓に粘着テープが貼られ、一部損壊と判定されている。避難した住民たちはここで夜な夜な集落の未来を語り、「復興会議」を立ち上げ、宴会も新嘗祭(にいなめさい)も開いてきた。
それでも、いずれは取り壊さなければならない。
安全に集うことができ、万が…