取材する側超えてプレーヤーにも 多くの「顔」持った渡辺恒雄氏
19日に98歳で亡くなった渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆は、幅広い分野への影響力を持っていた。どのような人物だったのか、その足跡をたどる。
◇
渡辺恒雄氏に初めて会ったのは2005年秋、朝日新聞の論壇誌「論座」の企画で、若宮啓文論説主幹(当時)と対談していただいた時だった。読売新聞の社説が小泉純一郎首相(同)の靖国神社参拝に対してそれまでの支持から一変して批判に転じた真意などを述べていただいた。2度目も「論座」のインタビューで、読売新聞が展開していた「検証戦争責任」シリーズの意図などを伺った。ライバル社の依頼にもかかわらず快諾していただいたことが印象に残っている。
若い頃、共産党に入党したが、「この党は全体主義だ」と飛び出した経験を持つ。戦争を美化するタカ派の主張を「あの戦争が自存自衛の戦争だなんて思っていたら世界から相手にされない」と一刀両断に切り捨てる。そして首相の靖国参拝を「戦争礼賛に利用される」と批判する。憲法改正を掲げる保守のイデオローグという渡辺氏に対する私の先入観は間違っており、強靱(きょうじん)な反戦のリベラリストだった。
読売新聞の主筆にこだわり続…