第6回500年前「日本最古」の高台移転 今も生きる巨大津波に備えた教訓
【6】紀伊半島
能登半島地震では、内浦を中心に、想定された最大級の高さ5メートル近くの津波を観測した。三重県から奈良県、和歌山県にかかる紀伊半島は、過去に何度も津波の被害に遭った地域だ。
連載「半島を歩く」
能登半島地震を機に、災害時の脆弱さがあらわになった「半島」。半島地域の発展と住民の生活向上を図る半島振興法の制定から40年。全国各地の半島を記者が訪れ、現状を探り、課題を考えます。全8回の連載です。
三重県鳥羽市には、室町時代中期の1498年に発生した明応地震で津波を受け、高台移転したとされる集落がある。
紀伊半島の東端に位置する同市国崎町は、約80世帯、約320人が暮らす。集落には浜辺から狭くて急な坂道が伸びる。
途中にある常福寺には、「津波流失塔」という石碑がある。江戸時代末期の1854年にあった安政東海地震の3年後に建てられたとされる。碑には、津波が高さ「七丈五尺(約22・7メートル)」まで届いたと記されている。
前住職の華谷賢光さん(88)によると、明応地震で津波の被害を受け、周囲の民家とともに現在の高台に移転したという。東京大学などの研究で、この集落は「国内で最も古い高台移転集落」と言われ、華谷さんは「高台移転していたので、安政東海地震では、流失家屋4棟、死者6人で済んだのだろう」とみる。
津波の史跡は三重県内に48カ所
県内の文化や習俗を研究する…
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