第1回20年前、奥能登から鉄路が消えた 残された路線、復興のシンボルに

有料記事半島を歩く 半島振興法から40年

朝倉義統 安田琢典

連載「半島を歩く」

能登半島地震を機に、災害時の脆弱さがあらわになった「半島」。制定から40年となる半島振興法は、3月末に現行法の期限を迎えます。全国各地の半島を記者が訪ね、現状を探り、課題を考えます。全8回の予定です。

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【1】能登半島 ~鉄路~

 昨年の元日に襲った能登半島地震は、代替ルートの少ない山あいで起きた。半島で数少ない公共交通機関の一つ、三セク鉄道の「のと鉄道」(石川県穴水町)の七尾―穴水間(33・1キロ)も大きな被害を受けた。長期運休も想定されたが、約3カ月後に全線再開した。

 昨年12月23日の正午前、七尾から穴水へ向かう列車には、多くの高校生が乗っていた。県立七尾東雲高3年の男子生徒(17)は「(運休中の)代行バスは不便だった。後輩たちのためにもずっとあってほしい」といい、夫の通院に付き添っての帰りだという女性(76)は「運転免許を返上したので、鉄道がないと困る」と話した。

 半島振興法には、地域公共交通のあり方について、「交流促進を図るため、活性化及び再生について適切な配慮をする」とある。昨年11月、能登地震を受け、23半島地域の関係者らによる対策協議会がまとめた決議でも、「半島地域は長距離移動の手段が必要」と掲げ、「鉄道路線を維持する必要な措置を講じること」とした。

 しかし、能登半島では穴水以北の鉄路は早々と姿を消した。国内23半島の中で、能登より過疎化が深刻な地域に鉄路があるにもかかわらず、だ。

 のと鉄道は1988年4月、旧国鉄時代に不採算路線だった能登線の穴水―蛸島(珠洲市)間を、民営化して1年後のJR西日本から無償で譲り受けて運行を開始。その2年半後、七尾線の和倉温泉(七尾市)―輪島間も引き継いだ。

能登線廃止、今年3月で20年

 だが、穴水―輪島間が2001年に廃止。その4年後の05年3月末に能登線も廃止となり、輪島、珠洲両市、能登町の鉄路が地図上から消えた。今年3月で20年となる。

 昨年末、七尾線の終着駅だった輪島駅跡を訪れた。レールと駅名表示版が残るものの、現在は金沢との特急バスが発着するだけ。かつては奥能登の観光拠点として、大阪から直通の急行列車や上野(東京)からの夜行列車もありにぎわったが、その面影はない。

 能登線の終着駅だった蛸島駅もまだ駅舎が残る。数百メートル南側の線路には、のと鉄道の初期のオレンジ色の車両1両がポツンと残る。

赤字、能登空港開港、合併協議……廃止反対なく

 穴水―輪島間が廃止になる前、県や沿線自治体関係者らによる懇話会が4回開かれたという。参加者の1人だった前輪島市長の梶文秋さん(76)は「戦前から続いた鉄道の廃止が最後に決まったときは涙を流した」と振り返る一方で、「懇話会は廃止ありきだった」とも語る。

 梶さんによると、多額の七尾…

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