御社の「お」が出てこない 8社連続で面接落ち、院生が出た「賭け」
ネクタイを締め、自宅のパソコンの前に座る。開始まで30分もあるのに、プレッシャーでめまいがした。
2023年12月。九州大の大学院修士課程の1年目に在籍していた時元康貴さん(27)は、初めての就職面接に臨んでいた。
画面の向こうに面接担当の男性が現れた。
「……」「……」「……わたしは」
言葉が出るまでに5秒ほどかかった。吃音(きつおん)の一種、「難発」の症状だ。その後も、「……現在」「……大学院で」など文節ごとに数秒の間が空いた。
面接担当者の驚いた表情。30分間、どう思われているか、気になって仕方なかった。
母音が特に言いづらい。御社の「お」を避けるため「○○(会社名)さん」と言い換えた。一般的ではない言い方は、失礼と思われただろうか。
翌朝、選考不通過の通知が届いた。
発表が苦手 吃音「隠して」やり過ごした幼少期
3歳ごろから吃音の症状がある。はじめは「ぼぼぼくは」と音が連続する「連発」だった。やがて、なかなか言葉が出ない「難発」に変わった。
小学生のころはミニバスケットボールチームでキャプテン。試合前の「気をつけ、礼」が言えず、朝礼も言葉が出てこない。「早くしろ」とからかわれた。
月に1度、母に連れられて「ことばの教室」に行き、日常会話をした。
専門家によると、吃音は、主に2~4歳の話し始めの時期に発症する。成長の過程で次第に治る場合が多いが、大人になっても約100人に1人にみられる。
次第に、吃音を「隠す」のがうまくなった。中学に上がると授業の発言が指名制から挙手制に変わり、手を挙げずに過ごした。
文化祭の劇は裏方にまわった。
高校進学後は授業での発表もストレスの一部だった。学校から足が遠のき、2年進級前には行かなくなった。
「当たり前のことができない」。年を重ねて得意分野と出会っても、「働くことへの不安」は大きくなっていきます。記事の後半では、就職活動で高い壁に直面し、障害との向き合い方を変えていく様子を紹介します。
家にいると不眠が悪化し、将来への不安は募る。睡眠のリズムが落ち着くまでに1年半ほどかかった。
幸いなことに、近所に高校中退者が多く通う塾があった。物理の勉強が面白くなり、21歳で国立大学の工学部に進学した。
工学に熱中、学会で賞も
新入生の歓迎シーズン。自己紹介の機会が多いのを不安に感じ、吃音者が集まる「言友会」に顔を出してみた。
当事者や支援者が集まり、互いの経験を話す交流会だ。
中学生の頃から存在は知っていた。「治らなければ行く意味はない」と思っていたが、いざ飛び込むと、接客業やエンジニア、医師など色々な仕事につく仲間がいた。楽しげに近況や身の上を話す姿に、「どもってもいいんだ」と勇気をもらえた。
メンバーの医師が、吃音によって起きる困り事に対し、学校や職場で「合理的配慮」を受けられると教えてくれた。夏、診断書を手に大学に申請した。
出欠をとる際に口頭ではなく目視や出席カードを確認してほしい、語学の授業では無理に発言させないでほしい――などと、具体的に要望を伝えた。
工学部での勉強は性に合った。無線機を制御するためにソフトとハードをどう改善したらいいか。手を動かすと時間を忘れた。半導体に興味が出て九州大学の大学院に進んだ。
学会発表ではスライドで口頭の説明を補足するやりかたを工夫し、奨励賞を受けた。
接客避けても求められた「会話」
将来はものづくりに関わり続けたいと、社会に出る目標もできた。ただ、就職するためには、大きな壁があることも知っていた。
口頭でのコミュニケーションを求められる職場が、いかに多いか実感したからだ。
アルバイトは「人と話さなくていいこと」を条件に選んだ。たとえば、回転ずしの調理場。狭い作業場で「後ろ通ります」の声がけ、具材の在庫報告……。会話のテンポについていけず3週間でやめた。一番長く続いたのは、ラブホテルの清掃で9カ月だった。
そもそも、面接を突破できる…