東京都台東区谷中の寺町巡りが続きます。日暮里駅に隣接する「天王寺」から禅寺長安寺を参拝した後、その向かいの「功徳林寺」を訪れます。功德林寺は、京都の浄土宗総本山知恩院の末寺で、谷中の寺町では唯一の浄土宗寺院です。
功徳林寺(くどくりんじ)
山号:無量山
寺号:功徳林寺
宗派:浄土宗
創建:明治26年(1893)
開山:養鸕徹定(うがいてつじょう)
本尊:阿弥陀三尊
功徳林寺の縁起
明治維新のときに、新政府軍と彰義隊ら旧幕府軍との上野戦争によって上野・谷中の寺々が大きな被害を受けました。
明治18年(1885)、時の増上寺住職福田行誡師は、この谷中の地に浄土宗寺院を建立する旨の文書を東京府知事に出しました。明治維新の戊申戦争以来多くの人が亡くなり
犠牲者の霊を慰めるためです。また、地方から東京に出てきて菩提寺のない多くの人のために一寺を建立するということです。305名の檀家信徒を集めて名簿に記し、功徳林寺が発足しました。
(功徳林寺のパンフレットより抜粋)
山門
すっきりとした綺麗な山門です。寺号標も立派です。
寺号標は、「法然上人800年大遠忌記念」で建てられたようです。
本堂
山門を潜ると真っ直ぐに「笠森稲荷堂」の赤い鳥居が見えます。前が客殿で、本堂は左側にあります。
本堂です。平成23年に再建されています。扁額「功徳林寺」。
扉が開いており、阿弥陀三尊像が安置されているのを拝観することが出来ました。中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左は勢至菩薩。
笠森稲荷堂
江戸三大美人お仙ゆかりの笠森稲荷堂に向かいます。
鳥居の左側に手水鉢があります。
山門の所に「笠森稲荷堂」の説明書きがありました。
「笠森稲荷は諸願成就のお稲荷さまとして信仰されてきました。江戸時代の中ころ、門前の茶屋の一人娘のお仙が店に立つと、江戸三大美人の一人として浮世絵に描かれ、童歌にも歌われて大評判になりました。」
功徳林寺がある場所は、江戸時代は天王寺の境内です。明治に廃寺となった「福泉院」がありました。そこに笠森稲荷があり、福泉院の跡地に創建されたのが功徳林寺です。そのため、功徳林寺には、笠森稲荷堂があるのです。
笠森稲荷堂の扁額は、吒枳尼天(だきにてん)です。祀られているのは吒枳尼天のようです。仏教の神で鬼神の一種とされ、一般に白狐に乗る天女の姿で表されます。
稲荷堂の狛狐さま。
最後に御朱印です。庫裏にて御住職の奥さんに御朱印を頂きました。
庫裡玄関
めだかを飼育されているようで、玄関の前に甕があります。
2種類の御朱印を拝受しました。
笠森稲荷
おわりに
功徳林寺は、明治26年(1893)に創建と云いますから、わたしが今まで観てきた寺院の中でも最も新しいかなと思います。それも明治維新の際の新旧幕府軍の争いの戊辰戦争が深く関わっていることが分かりました。上野戦争によって上野、谷中の様子が大きく変わったようです。
江戸名所図会(巻之五第十四冊)に天王寺を中心とした笠森稲荷などの当時の挿絵が載っています。
挿絵では、右側から左上に向かう参道の先に天王寺の「本堂」があります。 中央に当時あった五重塔が載っています。下部の右から左に「瘡守(かさもり)いなり」、「長安寺」、「寿老人」が載っており殆どが天王寺の境内であることが分かります。
このように、現在の功徳林寺は、笠森稲荷、お仙さんとは関係が深く、この歴史を大事にしていることが分かりました。今回も忙しい中、御住職の奥さんに丁寧に対応して頂き、御朱印の他、パンフレット、笠森稲荷の切り絵の葉書を頂きました。
以上