2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「元気なん?」叔母から電話がかかってきた。季節の挨拶だった。受話器を取った瞬間にわかる、故郷の言葉だった。おっとりと優しいイントネーションに自分の心は温まる。故郷と言っても自分が実際そこに住んだのは三歳までで、あとは毎夏休みに母親の里帰り…
プリンターに封筒をセットする。家庭用インクジェットプリンターだから分厚く重たい封筒など一枚一枚手差しかと思いきやそうでもない。B4封筒を十枚重ねて入れてもミスフィードなしに吸い込んでくれる。みるみる宛名印刷をした80枚の封筒が出来上がった…
中央線に大月という駅がある。そんな言い方をすると三遊亭小遊三師匠に怒られるだろう。なにせ長寿のテレビ演芸番組「笑点」では、彼の故郷の町は彼の言葉を借りるならば山梨にあるパリだという。そこで人々はフランス語を喋りクロワッサンとバゲットの朝食…
まだまだスーパーマーケットが世の中に普及する前、昭和四十年代は市場と呼ばれる個人商店が軒を並べた場所があった。アーケードなどもなく狭い路地にトロ箱のように並んだ個人商店の軒で雨風をしのぐ、しかし不思議な熱気に溢れる、そんな場所だった。八百…
車で一時間半あたりだろう、そんな地で演奏会が予定されていた。ずっと前からそのチラシを大切にしていた。しかしその前日から体の具合が悪くなった。翌日、どうしても車を一時間以上運転する気が出なかった。残念だが今日はパスしよう、そう思った。チケッ…
やあ、僕はすっかり大きくなったんだ。ここの家に来た時はまだ苗ポッドだったね。もう背丈は六十センチだからね。前にご主人が間違って僕の枝の一つを折ってしまった時、痛かったよ。だけどその分僕に栄養が回るね。おかげで、どう。立派でしょ。 そう話しか…
早起きをして空き地に駆けていく。町内会のおばさんがラジオを手にしている。何故わくわくしたのか。朝早くから友達に会えるからだろう。そして最後には首にかけた紙にハンコを押してもらう。皆勤賞迄あとわずか、と嬉しくなる。 事務所の扉を開ける。自分の…
旧制高校を卒業し仙台の大学医学部に進む若き作家の卵はこう書いている。「車窓から穂高の姿が消えると自分は汽車の座席に戻り、うつろに詩集を開いた」と。 軽妙なエッセイと純文学を残した作者は旧制松本高校で終戦直後の青春を過ごす。そんな疾風怒濤の時…
山梨県の北西部に引っ越してきた。周りの人との会話は友人や店先でのものだった。友人は移住組だった。JR駅や道の駅で職員さんと会話をしても、キッチンカーやワインバーでオーナーと話しても、皆さん共通語だった。聞けばやはり誰もが都心からの移住組で…
近所の野草園に出かけた。庭にロシアン・セージを植えようと思い買いに行ったのだった。太陽は南アルプスの真上を横断し信州の山並みに隠れようとしていた。 ああ、と声が出た。思わず車のブレーキを踏んでしまった。西から指す陽射しが実りの盛りの田を照ら…
一枚のCDを聴いている。自分が住む高原のコンサートホールでそれを手に入れてから何度再生した事だろう。そのジャケット裏にはサインがしてある。それは奏者自らが目の前でサインをしてくれたのだった。そして僕はその奏者の手を握るのだった。ぎこちなく…
挽き肉をこねて作る料理はあまねく好物だ。多少中身が異なるにせよどれも美味しい。ハンバーグに餃子など好きな二大料理だ。それぞれが七変化する。ハンバーグはピーマンに椎茸に詰めればそれぞれの肉詰めに。あるいは蓮根に挟めば挟み揚げに。小さく丸めた…
山歩きは好きだが、三十年の間自分は一度度登った山に何度も繰り返して登ることは余りなかった。「山の広辞苑」とでも言うべき労作がある。厚みはまさに広辞苑と寸分たがわぬ。そこには国土地理院の二万五千分の一地形図全てに記載されている山の全て。加え…
一度は飲んでみたいと思っていた。しかしそれは如何にも古めかしく、それを飲んでしまったら古い価値観を受け入れたことになる、そんな風に思っていた。 父親は昭和一桁代の生まれだった。戦争が終わった時には十五歳だから戦争の中を過ごしたことになる。彼…
森の中に一日車を停めていた。ボンネットに何か落ちているな。まぁいい、走ろう。しかしそれはボンネットから転がりワイパーで止まった。仕方ないなぁ、と車を停めてそれを車内に収めた。よく見れば左のミラーにもそれは引っかかっていた。 散歩の途中だった…
ラジウム鉱泉の先にあるとある山小屋だった。そこは日本百名山の一つである岩の峰に登るには最も最適な場所だった。自分も又そこに車を停めて山頂を目指した。十一月の岩肌は冷たく数日前に降ったであろう雪が残っていた。陽が高くなると少しだけ空気は棘を…
学生の頃、世の中の女性は全て女神に見えた。何と美しいのだろう、それは近づけない程に…。なかでも好きになってしまったひとは更に輝いていた。まさに高嶺の花だった。手を伸ばしても届かない。そもそも怖くて手が出ない。怖いのは自分が傷つくからか、恥ず…
リードにぐいぐい引っ張られながら走る。全力疾走だ。還暦を越えた自分が心配すべきは足がもつれて転倒する事だった。顔の骨でも折るだろう。 未だ幼稚園だった。最寄りの国鉄の駅には駅ビルが建っていた。その屋上には小さな遊具施設があった。親に連れられ…
ずっと横浜に住んでいた。家は工業地帯を展望する高台にあり開港記念日には港の花火が見え、大晦日の夜には年が明けると一斉になる船の汽笛が除夜の鐘だった。そんな街から僕はひたすら一筆書きをしていた。自宅からサイクリングである所まで。すると次回は…
毎朝顔を洗う。肌に気を使う人ならばきちんと石鹸を使い手入れをするのだろう。自分は冷たい水でざぁっと数度手を往復するだけだ。高原の水道は冷たい。しょぼついていた目はすぐに覚める。 鏡を見てつくづく思う。歳をとったなと。そして人相も変わったな、…
しまったなあ、そんなふうに口にした。ゲルハルト・ヘッツェル氏がザルツブルグ近郊の山歩きで滑落死したのはバランスを崩した際に彼が指をかばい岩を掴むのを拒んだから、と報じられていた。 ・・しかし自分は何だろう。只の趣味の範囲だが一応自分も弦楽器…
中央線に相模湖という駅がある。駅前に小さなバスロータリーと観光案内板がある。その西の藤野駅を以って神奈川県は終わり山梨県になる。東は高尾駅でそこは東京都だった。相模湖自体はその下流の津久井湖と同様に相模川をせき止めたダム湖だ。人造湖と言う…
8分音符があるとする。音符の位置で音が出ればよいがこちらはコンピューターではないのでそうもいかない。音符より少しだけ前で音が出るか、その通りで出るか、やや遅れるか、難しい。 スリーコードのブルースがあった。もう少しゆっくり目で、ノリを重たく…
中距離列車に乗るがロングシートだった。クロスシートの車両は、向い合せ席になるし収容人数が少ないからか、いつしか見なくなっていた。一両の長さが二十メートルに三扉だから一つのシートは長い。都心の通勤車両が同じく二十メートルで四扉なのに比べると…
「裏庭のヒマラヤ」。何のキャッチフレーズか広告か覚えていない。登山道具メーカーだったのか登山道具店だったのか。登山雑誌の広告か、カタログに書かれていたのかポスターか、ウェブサイトかもわからない。山はいつも身近にありますよ、そんなことを言い…
おかずとして自分の好きな料理を三つ挙げろと言われたら? ロースカツ、ハンバーグ、そして餃子か。一杯・一皿で済むものならラーメンだ。「支那そば」と呼ばれる昔ながらの醤油ラーメンは外せない。何故かわからぬがインドカレーとスープカレー以外のあのど…
腱鞘炎という名前には憧れがあった。ピアノの練習のやりすぎ、野球で投げ込みすぎ、手首から上を湿布や包帯でくるんでいると、ああ、この人は一生懸命に自分の道に集中したのだな、羨ましい。なにちょっとやりすぎただろう、早く治ればよいな、そんな憧れが…
映画「男はつらいよ」が大好きだ。最後の二作品を別とすると実質的に故・渥美清が寅さんこと車寅次郎を演じた作品は四十八話になる。盆と正月に年二度のペースで上演されていて誰もがそれを心待ちにした、まさに国民的映画だったのだろう。細切れであるいは…
生まれて初めてハンバーガーを食べたのは何時だろう。そうか、高校生だった。そこは広島市だった。通っていた高校は市の西の端に出来た新設校で家から近くだった。家は瀬戸内海を見る高台にあった。特段の用事もない限り市の中心部に出ることはなかった。 唯…
・中国行きのスロウ・ボート 村上春樹著 中公文庫1986年 自分はハルキストではない。何故人気があるのかも知らなかった。会社の同じ日本人駐在員から貸していただき唯一読んだのは長編小説「半島を出よ」だった。当時は活字としての日本語に飢えていた。まぁ…