日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

小さな旅、小さな街歩き

プラハ

東ヨーロッパ諸国と呼ばれていた社会主義国家群が消滅したのは1980年代のベルリンの壁崩壊と前後していた。独裁政権は崩壊しルーマニアではそれまでの国家指導者が捕らえられ犯罪者として処された。それはまさに激動の時間でリアルタイムに映像を見ていると…

立てた親指

仕事を終えてスーパーに夕餉の買い物に立ち寄った。そこは国道沿いの道の駅に併設されている。勤務先から近く、仕事帰りに立ち寄ると丁度割引シールが総菜に貼られるので重宝している。目を皿のようにして割引品を幾つも籠に入れていた。今日もそんな世帯じ…

大月駅

中央線に大月という駅がある。そんな言い方をすると三遊亭小遊三師匠に怒られるだろう。なにせ長寿のテレビ演芸番組「笑点」では、彼の故郷の町は彼の言葉を借りるならば山梨にあるパリだという。そこで人々はフランス語を喋りクロワッサンとバゲットの朝食…

松本礼賛

旧制高校を卒業し仙台の大学医学部に進む若き作家の卵はこう書いている。「車窓から穂高の姿が消えると自分は汽車の座席に戻り、うつろに詩集を開いた」と。 軽妙なエッセイと純文学を残した作者は旧制松本高校で終戦直後の青春を過ごす。そんな疾風怒濤の時…

風薫る丘

風薫るといえばそれは五月だろう。陽炎の様に空気が熱気で揺れるこの季節にはおよそ似合う季語ではない。しかし確かにそこは風が薫っていた。 峠近い駅で自転車を組み立てた。一足先に足慣らしをしていた友人とそこで合流した。そこから県庁所在地の街までの…

とうげみち

峠の駅に降り立った。その峠の東側から流れ出る沢は東へ流れ南進して相模川となり相模湾に流れ出る。その峠の西側からはいくつもの流れをあわせて富士川になり駿河湾に注ぐ。甲州街道の最大の難所とよばれたその峠はそんな分水嶺でもあった。 峠には昔ながら…

御茶ノ水 譚

香川の高松で生まれた自分は三歳になる前に親の転勤で横浜に引っ越した。鶴見という京浜工業地帯の街に父の会社の社宅がありそこに住み始めた。昭和四十年代の前半といえば海岸の工業地帯もフル稼働で、高台の社宅からは沿岸部の工場の煙や炎が見えた。そん…

くにさかい

昔から長野が好きだった。信濃の国だった。山と高原に憧れを持つようになったのは何故だろう。生まれた讃岐の国で山と言えば讃岐富士と言われている飯野山だった。平野は狭く海岸沿いには塩田が、平地にはため池がそして思い出したように盛り土のような山が…

桜並木の見沼用水

埼玉県の見沼公園あたりの風景を知ったのは誰かのブログだったろうか。いや、ランドナーというキーワードで検索したWEBサイトだったかもしれない。ランドナーとは今流行りのカーボンやアルミのロードバイクではなく、鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのつい…

つがい

♪しょ、しょ、しょじょじ、しょじょ寺の庭は・・・ さて皆出て来い来い来い、となるのだろうか。てっきりこの唱歌はこのお寺が場所なのか、とずっと思っていたがどうもそれは違うようだった。千葉の木更津らしい。しかし童謡の場所を探し当てて何の得があろ…

願かけ

願い事にすがりたい。こうなってほしい、こうあってほしい、そんな思いは誰もがあるだろう。多くの日本人は八百万が神様と言われるがやはり神社仏閣を前にすると誰が教えたわけでもないが柏手をうちを頭を下げる。クリスチャンはイエス様を仰ぎ十字を切りロ…

幸せの506グラム

ヨコカワぁ、ヨコカワぁ。機関車連結の為当駅で七分停車します。 誰もが扉から外に出る。すると首から平べったい箱を下げたオトウサン目掛けて皆殺到するのだった。中には千円札を既に握りしめているオジサンも、大きなお尻でドアをブロックして決して私の前…

まぶしい草野球 

♪ 風の外野席 手のひらかざして 青い背番号 確かめてみる♪ エラーの名手に 届けるランチは クローバーの上に転がしたまま・・ きっとこの歌は、この場所を描いたのだと思った。なによりも作詞・作曲者の家から近いのだから・・・。 自分の人生の中で東京都民…

竹竿使い

♪たけやぁ竿だけぇ 拡声器から聞こえるその呼び声はかつてはよく町の中で聞いていた。最近は聞かなくなったように思う。 そもそも竹竿は何に使うのか、今の生活ではあまり用途も浮かばないだろう。布団や洗濯物を干すために使うのだが、今はベランダで干すこ…

怒る人

「おりゃー何やってんだ。今すぐ窓を開けて飛び降りろ。」そんな怒号が聞こえる。ああまたか、と思う。赤鬼のような小太りの管理職が激しく怒っている。そこは異なる事業部の国内営業部のエリアだった。自社商品以外も、なんでも売ってしまうというその事業…

スキーと白河ラーメン

一杯のラーメンを目にしていた。その店は間違えなく二回目だった。そしてそれは三十年以上前の話だった。 あの頃毎冬が楽しみだった。行くと思うと胸が踊った。スキーだった。原田知世主演の映画のヒットもありスキー全盛期だった。男同士のスキーは技術的向…

友の作ったソバ

学生時代など仲間内は渾名で呼び合うことが多かった。中にはあだ名しか知らずに本名は何だっけ?という困った例もある。 子供番組ピンポンパン。あれに出ていた河童のキャラクターがいる。その名前で呼ばれていた友人がいる。やや人見知りの気があるのだろう…

季節外れの北帰行

北関東へ向かう列車だからだろうか?列車に乗り込み自転車の入った輪行袋を固定して椅子に座って気づいた。椅子にスチームが通っていた。いやそれでは昔の客車列車だ。今はヒーターだろう。 朝6時半の長距離列車だった。新幹線も通っているが各駅停車で行け…

そば部長

いつも飽きもせずに「もりそば」ばかりよく食べるなあ。 当時自分は電子機器の海外営業部に属していた。商品を海外の会社にOEM販売していた。そのお方の肩書は部長さんだが営業ではなく技術部門ご出身で技術アドバイザーでいらした。茶色が彼の好みなのだろ…

旅をしませんか

ひどく厄介な気持ちだった。二つの想いが自分を満たす。見知らぬ地の風景に触れその空気を吸いたい。しかし一方では家の中でゆっくりと妻と時を過ごしたい。相反する思いは満ち潮と引き潮のような関係だった。波間に木の葉のボートでも浮かばせてみよう。奥…

世田谷区松原・北杜夫と宮脇俊三

一年だけ東京都民だった。それは二十三区ではなく世田谷区の西隣、狛江市だった。大学に通うためだった。小田急線を使い下北沢で井の頭線に乗り渋谷に出るか、代々木上原で千代田線に乗りかえて表参道に出るかだった。小田急線は世田谷区を東西に切るように…

横浜鶴見・点描

横浜市の一番東に位置する鶴見という土地に住んだ期間は幼稚園から小1まで、そして大学四年から、6年間の海外転勤を除き今日まで。40年を越えていた。街は随分と変わった。ずっとJR線を挟んでの末吉台地と呼ばれる西側の高台に住んでいる。昭和40年代初めの…

休日列車「楽しみの国」行き

宇都宮の駅に居た。夏も終わりで夕暮れは決して暑くない。そんな中、同駅始発の列車を待っていた。日光の2400m級の山に一泊二日かけてでじっくり登った自分は疲労感に包まれながらも無事に終えた山の余韻と満足感、下山後の立ち寄り湯、それに駅前で手早く食…

船旅

運河沿いの道は広葉樹から射す木漏れ日でまばらな陰影があり、それが風に揺れていた。大きな運河ではない。一隻の小舟程度の幅だった。自分はその道にたまたま巡り合わせただけで南西方向にある村へのサイクリングの途上だった。 一艘の船がゆっくり進んでき…

鉄道とツーリズム

鉄道ファンで読書が好きならば必ず出会うであろう作家さん、宮脇俊三氏。時は昭和50年代、時刻表に記載されていた旧国鉄の全路線を乗るという鉄道紀行文を世に出し、多くの鉄道エッセイが続いた。自分もワクワクして読んだ口だ。一体何冊手にしたか覚えてい…

至ル所ニ至福アリ

自意識過剰な若い頃、自分はもしかしたらそれほど好きではなかったのかもしれない。しかし職場の同僚は毎週金曜日になると仕事終わりに息子氏に連れて行ってもらうという。毎回どこに行くかはお楽しみだという話だから、彼女は金曜が楽しみなのだろう。いつ…

特等席

電車に乗ったら何処が特等席だろう。自分の場合は決まっている。流石に運転席は無理なので、運転席のすぐ後ろだ。流れ去るレール。変わる信号、すれ違い、そして運転士の挙動。総てが楽しい。昔は運転席の真後ろに座れる車両もあった。京急旧600系あたりだっ…

五百円の幸福

かつて馬込温泉という名の銭湯、いや、健康センターがあった。東京を出た東海道新幹線が大森で環状七号線を渡る直前に左手を見る。そこに建っていた。高架を走る新幹線からとりわけよく見えたのは低層住宅の続く中でその馬込温泉自体が中層ビルだったからだ…

駅そばシリーズ(14) 三沢駅とうてつ駅ソバ

知らない地の駅に駅ソバがあると立ち寄ってしまう。自分の中で駅ソバは旅情と直結している。初めて訪れた街、青森県三沢市。八甲田山登山のレンタカーをこの街で借りたのだ。車を返して駅に戻る。新幹線の通る街・八戸へ向かう次の電車は1時間ほど先だ。駅構…

頼もしき人たち

♪8時ちょうどのあずさ2号で・・・。 わたしは旅立つ。そんな歌に唄われた信濃路へ我々をいざなう中央本線。信濃の国へ向かうならば特急あずさ。各駅ならば高尾駅始発の中距離列車に乗り多くの場合は甲府で終点。そこからは数分の乗り継ぎで松本行がバトンを…

  翻译: