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<高崎城>の”城門”を巡る-”井伊直政”の後は譜代大名が統治したお城の再移築現存”東門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
箕輪城 井伊直政が築いた大堀切が残る戦乱の城【群馬・高崎市】
箕輪城は長野氏が榛名山山麓に築いた平山城で、日本100名城の一城。最後の城主、徳川四天王の一人・井伊直政が築いた巨大な大堀切や空堀、石垣が残り、かつての山城が体感できます。
佐和山城跡を過ぎると、まもなく遠目に彦根城が目に入ります。関ヶ原の戦いの勝者と敗者のお城です。方や城趾、方や国宝です。井伊直政は勝者ですが、関ヶ原の戦いで負傷しそれが原因で亡くなっています。過去の投稿記事です。クルーズから見た丸亀城-リタイアじーじの徒然絵日記瀬戸内クルーズで見たかったものの1つが丸亀城でした。無理だと思っていましたがすこしだけ見えました。ほんのすこしだけでしたが城好きにとっては満足でした。天守閣と石垣...gooblog新幹線姫路駅より姫路城-リタイアじーじの徒然絵日記山陽新幹線から遠くに姫路城が見えることは知っていましたので、停車中にホームに降りて姫路城をパチリしました。思いの外近くに見えました。さすが国宝、遠くから観ても、...gooblog彦根城玄宮園から見た天守閣-リタイアじーじ...東海道新幹線車窓より彦根城
戦国武将家紋Tシャツ「井伊直政」【戦国武将 和柄Tシャツ 和風tシャツ プレゼント】SKS27価格: 2980 円楽天で詳細を見る 井伊直政の名言から学ぶ現代社会の知恵 名言1:「忠義は人の本分。」 井伊直政は、忠義を最も重要な徳と考えました。彼のこの言葉は、主君への忠誠心を示すだけでなく、人としての基本的な倫理を強調しています。 現代の知恵 現代社会でも、忠誠心や誠実さは非常に重要です。仕事においても、プライベートにおいても、誠実な行動と忠誠心を持つことで、信頼関係を築くことができます。忠義を持って行動することは、他者からの信頼と尊敬を得るための基本です。 名言2:「勇気を持って挑戦せよ。」…
彦根城天守閣より見た佐和山城跡です。真ん中の小高い山が佐和山です。当時、三成に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城と言われたほどの名城だったそうです。関ヶ原の戦い後、佐和山城は落城し、井伊直政が彦根城の築城を手掛けましたが、関ヶ原の戦いでの傷が悪化し築城を見ないまま亡くなったそうです。滋賀県は正に戦国時代の名残がアチコチ刻まれた歴史ロマン溢れるエリアです。宜しければポチお願いします🙇⤵️にほんブログ村過去の投稿記事です。日本100名城犬山城-リタイアじーじの徒然絵日記日本100名城犬山城です。木曽川とのコラボレーションです。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。ハイデルベルグ城の夜景-リタイアじーじの徒然...gooblog天下布武の眺め日本100名城-リタイアじーじの徒然絵...彦根城天守閣よりの眺め佐和山城跡
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《下の巻》第1と10位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《下の巻》はいよいよ第1位を発表!エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一果たしたのは誰だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!《中の巻》第5〜2位を発表!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜【名前勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《中の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
【第2回】戦国武将たちの姓名判断ランキング・ベスト10!〜名前で天下統一するのは誰だ!?〜《上の巻》第9〜6位を発表!【名前で勝負】
第2回戦国武将の姓名判断ランキング《上の巻》エントリーは、毛利元就、島津義弘、直江兼続、竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三などクセの強い有名武将ばかり。果たして名前で天下統一するのは誰だったのでしょうか? 名前ナンバーワンに輝くのはどの武将だったのでしょうか?
1.岐阜県関ケ原 岐阜県にある不破郡関ケ原町と言えば”天下分け目の関ケ原”🏯関ケ原の戦いで有名な地、もう終わってしまいましたが昨年の大河ドラマ『どうする家康』でもドラマのクライマックスで話題になった場所でもありますね。 2.関ケ原古戦場記念
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ関ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第43話の感想ぉ〜!城攻めではなく、石田三成の誘いに乗った徳川家康。決…
こんなに凛々しい小早川秀秋、見たこと無い NHK大河ドラマ「どうする家康」もいよいよの第43回「関ヶ原の戦い」が11/12に放送された。最近は関ヶ原の戦い周辺の研究が特に進展しているそうで、昔のドラマや映画で慣れ親しんできた戦いの様相は、まさに様変わりの勢いだそうな。 そんな中での「どう家」だ。注目のひとりは何といっても小早川秀秋(嘉島陸)。お約束の家康からの「問い鉄砲」はどうした?無いじゃないか。 ドラマの秀秋は、家臣に徳川方に付いたと言いふらされていると聞かされても「気にするな。戦の成り行きのみを見極めよ」と冷静さを発揮。家康が桃配山から陣を進めた絶好タイミングを見て取ってから凛々しく采配…
彦根市中央町の長松院は、井伊直政が荼毘に付されたところです。慶長7年(1602年)直政は、関ヶ原の戦いで受けた戦傷で、破傷風にかかり病没。その遺意により当時暴れ川であった芹川の三角州にて荼毘に付されました。その跡地に創建された寺院が長松院です。故事によると、善利川(現芹川)の中州において、慶長7年2月1日、井伊直政が42歳にして死去、生前より遺言されていた当地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に...
彦根城跡から夢京橋キャッスルロードに出ると、通りの真ん中に浄土宗の宗安寺があります。井伊直政の正室・東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立された安国寺を前身とします。井伊直政が高崎城主となると安国寺は移転。1601年佐和山入城に伴い、佐和山城下へ移され、宗安寺と改名。1603年、彦根城築城の際、現在の地へ移転されました。赤門は、石田三成の佐和山城の表門を移築したものと伝えられています。現在の本堂は、...
関が原で東西両軍が激突する4日前の慶長5年(1600年)9月11日、徳川家康は清州に到着し、翌12日もそこに逗留しました。ところが、中山道を進軍している...
彦根市栄町の蓮成寺が、この地に建立されたのは1602年のことで、前身は石田三成の居城佐和山城にありました。1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。1600年の関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。しかし、彦根藩初代藩主・井伊直政の命令により現在の地に蓮成寺として再建されました。蓮成寺の正面側には彦根藩の足軽屋敷が立ち並び、彼らの檀...
関ヶ原には戦死者を葬った首塚が2つあり、そのひとつがこの東首塚で、JR関ヶ原駅から歩いてすぐのところにあります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。首洗いの...
2023年9月23日関西方面城巡り2日目朝から兵庫県の明石城に行き、安土城を周りラストは彦根城のライトアップに行ってきました。安土から彦根まで電車で移動し、近くのビジネスホテルに宿泊。次の日は彦根城に行く予定だったので、ゆっくり休む予定でした。ラッキーなことに部屋から彦根城が見えます。しかも、一泊素泊まり4500円くらいの格安!夕陽に照らされた彦根城は、とても綺麗でした。部屋でゆっくりして、何気なく外を見ると彦根城が光っています。ライトアップされているなら、行かないという選択肢は有り得ません。疲れた体にムチを打って、再び外に繰り出します。歩いて15分ほどで彦根城に到着。メインとなる佐和口から入城します。多聞櫓が待ち構えていて、美しくにライトアップされています。井伊家の家紋が輝かしい。続いて天守閣方面へ向か...彦根城ライトアップVer
2023年9月24日関西方面城巡り3日目ラストは昨日のライトアップの彦根城に引き続き、朝イチの彦根城です。昨日はナイトバージョンで暗かった為、今日は城の隅まで見ていこうと思います。関ヶ原で勝利した徳川家康は西国の牽制の要所として、徳川四天王の井伊直政を石田三成の居城だった佐和山城に移封しました。その後井伊直政は琵琶湖に近い、現彦根城に築城を計画。しかし、慶長2年に井伊直政は死去。意思を継いだ井伊直継、井伊直孝によって20年に渡って築かれた城です。江戸時代以前に作られた天守閣が、そのまま現存している貴重な城。天守閣は国宝に登録されています。井伊家が14代に渡って藩主を務めてきました。本日は佐和口の右手から歩いて向かいました。昨日のライトアップも格別でしたが、昼は水濠に多聞櫓と二重の隅櫓が映って綺麗でした。こ...彦根城
天正18年(1590年)佐和山城主となった石田三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行い、山頂に五層の天守が高くそびえたつほどの近世城郭を築き、人をして「治部少に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と言わしめました。三成は伏見城に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の正継であったといいます。慶長4年(1599年)大老・前田利家が病死すると、三成と対立関係にあった武断派の加藤清正、福...
長浜のつるやパンでまるい食パンを買った後は、長浜駅からJR北陸本線に乗ってやってきました。彦根駅です!駅前では戦国大名 井伊直政 の像が迎えてくれますが、『ようこそ ひこねへ』と朗らかに迎えてくれたひこにゃんこそ彦根の大スターであることを知
浜松秋葉神社は、徳川家康が永禄十三(1570)年正月浜松城入場の際、秋葉寺第二十五代別当、叶坊光幡を浜松城下へ引具し、叶坊の願いを聞きいれ、天竜区春野町の秋葉権現堂を勧請したことがはじまりです。御前崎市から湖西市に至る地域一帯の秋葉信仰の中心としての役割を担い、家康が勧請した神社として、以後歴代の浜松城主の崇敬も厚く、多くの灯篭が寄進されています。三州西尾城主松平和泉守源乗寛年号 文化七年(1811)の灯籠こ...
<木造現存国宝「彦根城 天守」> 徳川譜代トップ”井伊家”の天守は”大津城”からの移築だった!
「お城紀行」(竹中氏陣屋、清洲城、墨俣城)の投稿で、中断していました『北から南へ「天守」シリーズ』を再開します。 2023年7月7日から当シリーズをスタートさ…
博多祇園山笠真っただ中の7月上旬、宗像市内にも山笠がお目見えしています。今回は毎年恒例「田熊山笠」の舁き山を見るべく、展示先のいせきんぐ宗像にやってきました。面倒な制約が取っ払われた今日、多くの関係者がこれまで以上に気合を入れ、山笠に臨んでいます。山小屋がある「いせきんぐ宗像」に到着すると、色とりどりの旗が入口になびいていました。地元小学生による作品です。それでは早速、今年の舁き山を見ていきましょ...
【どうする家康】#20 岡崎を救うためのクーデター、瀬名を地獄に誘う
岡崎組のクーデターだった弥四郎事件 NHK大河ドラマ「どうする家康」第20回「岡崎クーデター」が先週5/28に放送された。いわゆる「大賀弥四郎事件」として知っていた話だったが、今作では「大賀」ではなく「大岡」と。最近の知見によると、そうなるらしい。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻め込んだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田裕貴)らを援軍として送る。そんな慌ただ…
仁王門本堂の真南、寺全体の正面に位置している仁王門は、昭和62年(1987)清山和尚代に建立されました。さて、龍潭寺の本堂に入ってみましょう。庫裡 丈六の釈迦牟尼仏 丈六の釈迦牟尼仏 この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。丈六とは一丈六尺(5米)の寸法をいいますが、お座りですから三米ほどの高さです。 静かに己の心を深く見つめておられる、座禅のお姿の仏さまです。 この仏さまのお体には黒い...
徳川四天王:井伊直政 知勇兼ね備えたイケメン武将の生き急いだ生涯
徳川四天王の最年少・井伊直政は、全力で家康に忠義を尽くした家臣です。「どうする家康」では、美少年の板垣季光人(いたがきりひと)さんが演じていますが、実際の直政も超イケメンで、男性女性問わずモテモテだったそうで…。それだけでなく、直政は非常に
後醍醐天皇の皇子・宗良親王の菩提寺である龍潭寺は、古くは地蔵寺といい、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わっています。井伊家は藤原鎌足の後裔とされ、藤原共資公(元祖共保公の父)の時、遠江国守として遠州村櫛に下り、共保公より井伊谷の地に移り、約五百年間にわたり、井伊谷の庄を治めました。保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では御醍醐天皇皇子・宗良親王を迎え北朝と戦いました...
井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居館に加え、最終的な詰め城である三岳城で構成されていました。現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できます。井伊谷城跡(城山公園)井伊氏は、平安時代の在庁官人からはじまり、中世には国人領主として、浜松市北区一帯(引佐、細江、都田)などを治めました。南北朝の動乱期(1336~1392)には、...
大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台にもなった奥浜名湖の北にある浜松市北区引佐町井伊谷。 井伊谷は、かつて井伊家が治めた土地です。 井伊といえば、家康幕下の名将・直政や幕末の大老・井伊直弼を輩出した家として知られています。 遠州の名刹・龍潭寺門前の田んぼの一角にあるのが「井伊共保出生の井戸」です。 広い通りから、一本入りますが、白壁の塀を目印にすれば、見つかります。共保公とは、平安時代から戦国時代までの...
どうする家康 第16話「信玄を怒らせるな」 ~上杉謙信と徳川家康の同盟~
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
【どうする家康】#17 信長の片思いを利用、援軍を勝ち取る家康
援軍を勝ち取った「一蓮托生」 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第17回「三方ヶ原合戦」が5/7に放送された。体調不良を言い訳に、既にお約束になってしまった1週間遅れの感想ブログ。お付き合い感謝です。まずは公式サイトからあらすじを引用する。 信玄(阿部寛)は徳川の拠点を次々に制圧。打つ手のない家康(松本潤)は、信長(岡田准一)の本軍が加勢に来るまで浜松城に籠城すると決める。だが、浜松に攻め寄せてきた武田本軍は、なんと浜松城を素通りし、西へ向かおうとする。このまま武田軍を通せば、遠江の民から見限られ、信長の逆鱗に触れる。何より、瀬名(有村架純)ら家族のいる岡崎城が危ない。打って出るべきか、籠城を…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いきなり家康さんを襲ったのは虎松⁈ってことで第16話の感想ぉ〜!遠江国に入った家康を襲ったのは、遠江は武田…
家康を襲った井伊直政。遠江出身の美少年は家康とどう絡むのか?【どうする家康 満喫リポート .
『どうする家康』家康の義弟・源三郎の救出と、老獪な武田信玄との正面衝突 - 日刊サイゾー 日刊サイゾー 大河ドラマ『どうする家康』第16回…
#226 第16回「信玄を怒らせるな!」感想~大河ドラマ『どうする家康』
2023年4月30日の大河ドラマ『どうする家康』の第16話「信玄を怒らせるな!」壮年期の家康、最大の強敵信玄ついに動く第14話から引き続きの英雄たちの選択では…
「みちひろば」の徳川四天王の像(2)榊原康政象&井伊直政像
岡崎の籠田公園と桜城橋を結ぶ全長約320mの”みちひろば”中央緑道に設置された徳川四天王の像より、続いては、榊原康政と井伊直政の銅像です。榊原康政像榊原康正といえば、小牧・長久手の戦でのエピソードが知られていますね。小牧・長久手の戦で、徳川軍へ攻め入ろうとする秀吉対し、康政は秀吉非難の檄文を秀吉陣営の諸将に送りつけました。怒った秀吉は「康政の首を取った者に望みのまま褒賞を与えよう」と触れを出したといわ...
永禄11年(1568)12月、徳川家康の遠江侵攻により、徳川家の支配下に置かれた井伊谷。元亀3年(1572)大軍勢を率いた武田信玄が、遠江国に侵攻を開始。次々と支城を落とし、浜松城へと迫っていました。徳川方についた井伊家も標的になり、山県昌景率いる武田別働隊は、井平城を陥落させた後、井伊谷に入り、井伊谷城を占拠。井伊谷城は、標高約115m、丘陵に築かれた井伊氏の城館です。井伊氏の本拠地は、井伊谷城とその山麓にあった居...
大河ドラマ「どうする家康」、公式のホームページを見ると徳川家康の家臣団に井伊直政がいます。※画像はお借りしました直政の登場は、まだ先だねこの直政の説明で「女城…
新年あけましておめでとうございます。昨年も、たくさんの応援ありがとうございました。今年は、浜松がまた大河ドラマ「どうする家康」の舞台のひとつになります。浜松城の前身は、引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と...
【どうする家康】井伊直政ってどんな人?簡単解説~赤備えのイケメン武将
井伊直政って「おんな城主直虎」で菅田将暉さんが演じてたのは記憶にあるけど、どんな人だったの? 菅田将暉さんの井伊直政像を思い浮かべるかたも多いと思います。今回は2023年大河ドラマ【どうする家康】で板垣李光人さん演じる井伊直政について簡単に
今日は国宝でもある彦根城【近江国】を紹介します。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後に徳川四天王と言われた一人である井伊直政がこの近江国を任されて、それまで治めていた石田三成の佐和山城の資材