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南北朝時代の軍記物『太平記』には、1333(元弘3)年5月19日~5月21日までの鎌倉合戦をほとんど記していないのですが、鎌倉幕府滅亡の日となる5月22日については美談的な創作も含め、それなりに量を割いて記しています。極楽寺切通しを突破した新田義貞の軍勢と極楽寺坂への援軍として派遣された幕府方の長崎思元(ながさきしげん)の軍勢が小町口で遭遇して市街戦が始まったことで、市内は早朝から新田軍による放火・狼藉で混乱の極み...
綱崎山 寿福寺(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東1丁目)は、鎌倉時代前期に清和源氏の多田行綱の子の智空が長福寺として開基した真言宗寺院として始まり、鎌倉時代後期には都筑郡王禅村などを領有していた金沢流(かねさわ)北条貞顕(さだあき→15代執権)の帰依を受けました。室町時代に衰退したものの智空から7代目の空誓が江戸時代前期に浄土宗本願寺派として寺を中興し、その後、江戸時代中期の1716(享保元)年に8代将軍徳川吉宗の嫡子...