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↑東京都羽村(はむら)市に所在する、鎌倉時代の創建と推定される東京都指定史跡「五ノ神まいまいず井戸」と五ノ神社(ごの・かみしゃ)を探訪しました。「まいまいず」とは蝸牛(かたつむり)のことで、この螺旋状の井戸は以前、旅番組で見て印象に残り、行ってみたいと思っていたのです。 ↑五ノ神まいまいず井戸の所在地は「東京都羽村市五ノ神1丁目2−1」で、JR青梅(おうめ)線の羽村駅東口から徒歩1分かかりませんでした...
三貴神を祀る阿佐ヶ谷神明宮のご利益、全国で唯一の八難除けとは
阿佐ヶ谷神明宮は全国で唯一の八難除けの祈祷が受けられる神社です。本殿に三貴神が一緒に祀られています。八方除けとの違いや、実際に体験した不思議な出来事も紹介します。
池辺杉山神社(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明ですが、中世の頃より池辺村の鎮守であったと伝わります。神仏習合の頃は八所権現を本地仏とする木像の不動立像と神体として祀っていたと記されます。権現(ごんげん)とは神仏習合の頃に「仏や菩薩が日本の神々という仮(=権・ごん)に姿を変えて現れる」という考え方で、これを本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)、または仏本神迹説(ぶっぽんしんじゃくせつ)と...
宇奈根氷川神社(→神奈川県川崎市高津区宇奈根)は、宇奈根の地が明治時代末期の1912(明治45)年の区画変更により東京府北多摩郡砧村(きぬたむら→東京都世田谷区)から神奈川県橘樹郡高津村に編入されたことから、1927(昭和2)年10月に砧村の宇奈根氷川神社(→東京都世田谷区宇奈根2丁目)を勧請して創建された神社と伝わります。かつては宇奈根地区の全域が北多摩郡に属しましたが、1945(明治12)年の区画変更で郡境が多摩川上に変更され...
渋谷氷川神社(→東京都渋谷区東2丁目)は、古くは氷川大明神といい旧下渋谷村・豊沢村の総鎮守として崇敬されました。江戸時代初期の1605(慶長10)年に別当寺を務めた恵日山 薬王院 宝泉寺(→東京都渋谷区東2丁目)の100代住職貿園が記した『氷川大明神並(ならびに)宝泉寺縁起』によると、古墳時代前期(→4世紀)の景行天皇の時代、日本武尊(やまとたける)が東征(→東国平定)の際、この地に素戔嗚命(すさのおのみこと)を勧請し、その後、平...
平尾杉山神社(→東京都稲城市平尾)は鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社で、その中でも最も上流域にあるといわれています。創建年代は不詳ですが、神仏習合の頃の戦国時代前期の1492(延徳4)年に社殿を再建し、神体として「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年五月五日」と刻された不動明王の懸仏(かけぼとけ→鏡面に付けられた神像や仏像)が奉納されました。しかし、この懸仏の神体は江戸時代末期の幕末期に失わ...
宮内春日神社(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、昨日ご紹介した春日山 医王院 常楽寺に隣接する神社です。平安時代後期の1159(平治元)年から1171(承安元)年の頃、現在の川崎市中原区の宮内から井田の地域にかけて「稲毛荘」と呼ばれる荘園が成立し、荘園の鎮守として「春日新宮」が造立されました。これが宮内春日神社の前身です。近年発見された「武蔵国稲毛本荘検注目録」には「平治元年(平安時代後期→1159年)御検注定、春日...
牛頭天王社(ごずてんのうしゃ→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、長津田村が小田原北条氏の領国であった頃、この地の領主であった引田氏が祇園社(現在の八坂神社→京都府京都市東山区祇園町北側)を勧請して牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりです。創建時の牛頭天王社は現在の王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)寄りにあったようですが、江戸時代中期の1796(寛政8)年に現在地に移されたようです。『小田原衆所領役帳』(...
国領神社(→東京都調布市国領町1丁目)は、鎌倉時代に多摩川河畔に創建された社殿を、多摩川の洪水が頻発したため現在地に移転したと伝わります。この場所は、江戸時代の古地図で見ると医王山 長楽院 常性寺(→東京都調布市国領町1丁目)の本堂から北に約200ⅿ離れた場所にあたり、同寺の境内社「第六天社」(→のちの八雲社)があった場所になります。神仏習合の頃は、おそらく同寺が別当寺として第六天社の祭祀を司っていたのでしょう。1...