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東京界隈グルメ日記9「GRANGE CAFE BLUE STRAWBERRY 」東京都稲城市
東京都稲城市「GRANGE CAFE BLUE STRAWBERRY /ブルーストロベリー」に赴いた。店内は西欧風でカントリーな雰囲気。ドライフラワーやキャン…
三沢川の桜並木:元気いっぱい!三沢川に覆いかぶさるように咲く桜(東京都稲城市)
桜の名所「東京都稲城市の三沢川の桜並木(別名:三沢川さくら回廊)」をご紹介。三沢川沿い1.7kmに渡って約320本の桜が咲き、三沢川に覆いかぶさるように咲きほこる姿を橋の上から眺めると青空に映えてとてもキレイ。2019年4月に訪れた際の写真と短い動画4本です。機材:SONY α7II + SEL24F14GM、SEL90M28G。補足:2019年4月に「旧)ふわり写真ブログ」へ投稿した記事のリライト
鳳凰山 阿弥陀寺(→東京都多摩市桜ケ丘1丁目)は、昭和時代中期の1951(昭和26)年に五十嵐妙法という尼僧によって新潟県長岡市で創建され、1967(昭和42)年に現在地に移転された浄土真宗本願寺派寺院です。縁起を記した境内の石碑には、次のように記されています。**************************当寺は昭和二十六年(→1951年)に新潟県長岡市で創建され、同四二年(→1967年)に当地に移転したもので、開基は五十嵐妙法である。妙法尼は長岡市...
平尾杉山神社(→東京都稲城市平尾)は鶴見川流域に72社ある杉山神社のうちの1社で、その中でも最も上流域にあるといわれています。創建年代は不詳ですが、神仏習合の頃の戦国時代前期の1492(延徳4)年に社殿を再建し、神体として「武州児玉郡金屋村住人中村五郎衛門家吉敬白延徳二年五月五日」と刻された不動明王の懸仏(かけぼとけ→鏡面に付けられた神像や仏像)が奉納されました。しかし、この懸仏の神体は江戸時代末期の幕末期に失わ...
岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市坂浜)は、胎蔵界大日如来像を本尊とする真言宗豊山派寺院で、南北朝時代後期の1368(応安元)年に僧の鎮海が開山しました。1368(応安元)年は数え年11歳の足利義満(あしかがよしみつ)が室町幕府の3代将軍に就任した年でもあります。江戸時代には本山・末寺の制により真言宗御室派の総本山・大内山 仁和寺(→京都府京都市右京区御室大内)の末寺となり幕藩体制の一翼を担う一方、高勝寺自身も末寺19ヶ...
神王山 北辰妙見尊(→東京都稲城市百村)は、隣接する天台宗寺院の神王山 観音院 妙見寺が別当寺を務める神仏習合の影響が色濃い神社で、妙見寺の山頂(→奥ノ院という)にあります。寺院という扱いなので祭神は本尊と呼ばれ、北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)が「妙見菩薩」(→仏像)として祀られています。江戸時代前期の1662(寛文2)年から行われ東京都の無形文化財に指定される「蛇より行事」については、昨日の妙見...
神王山 観音院 妙見寺(→東京都稲城市百村)は、奈良時代後期の760(天平宝字4)年に47代淳仁天皇(→藤原仲麻呂政権)の勅願で創建された妙見宮(→神王山 北辰妙見尊)の祭祀を司る別当寺として、平安時代後期の1112(天永3)年に創建された天台宗寺院です。本尊は阿弥陀如来像です。妙見寺は、現在も境内山頂にある神王山 北辰妙見尊の行事を行うなど神仏習合が色濃く残り、江戸時代前期の1662(寛文2)年から行われている「蛇より...
雲騰山 妙覚寺(→東京都稲城市矢野口)は、室町時代に僧の陽雲が創建した臨済宗建長寺派寺院です。寺伝によると室町時代後期に12代将軍足利義晴が開基したとありますが、足利義晴は前将軍足利義稙(よしたね)とその後見人である周防守護大内義興(よしおき)に京都を追われ征夷大将軍を解任され、近江守護の六角高頼を頼って落ち延び、同地で死去した波乱の人生を送った人物です。そのような人物が武蔵国の妙覚寺を開基するはずがなく、...
穴澤天神社(→東京都稲城市矢野口)は、東京神社庁によると紀元前423(孝安天皇4)年の創建としていますが、これは大和地方に大王(→現在の天皇)が王権を確立していない弥生時代中期(→紀元前5世紀)にあたり、もちろん孝安天皇は実在の人物ではないため縁起の信憑性は薄く、創建年代不詳というのが実態です。しかし、穴澤天神社は平安時代前期の927(延長5)年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている多磨郡8座のうちの1社と比定され...