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【独自】泥岩層から出土した大伽耶初の「大王」の痕跡…1500年の謎を解くか : 文化 : ハンギョレ新聞 (hani.co.kr)「大伽耶は、約1500年前に慶尚道西部と全羅道東部にかけて繁栄し、新羅と競合した強力な小国家だった。大伽耶の人々が最高首長を当時の新羅のように「大王
JUGEMテーマ:歴史 その2からの続き 《6》葛城氏 そもそも役小角の出身である鴨氏=葛城氏とはどのような氏族なのでしょうか。 役小角が修行したとされる葛城山とは大阪府と奈良県の境にある山なのですが、それは河内長野市(
前回(上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱)自作の『記紀等準拠系図』を紹介したが、この系図を眺めると、親子継承の間隔や婚姻関係など、いろいろ無理があることに気づく。 〇親子継承が大きく伸びている部分として、①ワチツミ、②物部十市根、③武内宿禰が挙げられる。②③は伊香色女、伊香色男の世代が3世代ずれている。①については、ハエイロネ姉妹の世代が3世代、ワチツミが1〜2世代ずれている。 〇3代から6代までの天皇は、磯城県主ハエの子の世代の娘を妃としており、この間の天皇を直系で繋ぐのは無理がある。 〇同世代で活躍したとされる四道将軍の四人の世代がバラついていて、同時期に活躍していたとするのは無理が…
神武天皇から持統天皇までの記紀が扱う時代について系図を作成してみた。 この時代の神武天皇からはじまる系図では、通常は男系の単調な系図となっていて、神武天皇から成務天皇までは父子継承であることから、系図は一直線になっている。 ところが、本来の記紀には多彩な母系も記述されており、決して一直線の単調な系図で表されるようなものではなく、また、"神武"のような漢風諡号も使われていない。 漢風諡号を用いた単調な系図は、そもそもの記紀の世界観からは大きく異なったイメージを与えて、あまり適切ではないのではないか? 漢風諡号を用いず、母系も意識した系図を作成すると、どのようになるのか? そのような観点から、記紀…
系図:倭根子王家・吉備氏② - 上古への情熱からの続き。 倭根子王家・吉備氏系図※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 吉備氏と葛城氏の誕生 神武天皇にはじまる耳王家と、耳王家に妃を出した弟磯城にはじまる磯城県主家の血は、孝霊天皇にはじまる倭根子王家に引き継がれた。(系図:倭根子王家・吉備氏② - 上古への情熱) 景行天皇は倭根子王家の血を継ぐ播磨イナビ大郎女・若郎女姉妹を娶り、倭根子王家の後継の地位を手に入れて、倭根子王家は断絶する。(解説:景行・成務天皇の不可思議 - 上古への情熱) 播磨イ…
日本紀には、応神天皇の九年に、天皇が武内宿禰を殺そうとしたことが書かれています。それによると、応神天皇が武内宿禰を筑紫に派遣して庶民を視察させた際に、その留守を狙って弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)が天皇に、武内宿禰が謀反を企てていると讒言したのです。これがもう一人の内宿禰で、『大日本国語辞典』によると「うまし」には快いとか美しいといった意味がありますから、この人はイケメンだったのかもしれません。彼の言葉を信じた天皇は、武内宿禰を殺すよう命じたため、武内宿禰は絶体絶命の危機に陥りますが、これを伝え聞いた壹伎直(いきのあたへ)の祖、真根子(まねこ)という者が武内宿禰の身代わりとなって死に、武内宿禰は難を逃れて都に戻り、無実を訴えたのです。そこで、武内宿禰は甘美内宿禰と対決することになったのですが、議論で...もう一人の内宿禰