量は質を凌駕する

 ~ アウトドアと読書の日記

長かった年末年始の休みも終わり、今日から仕事再開。11連休の間に4回ゴルフに行った。スコアは99、98、101、87。2か月ぶりに80台が出ました。何が変わったわけではないが、1月3日に今年初ラウンドで101を打ってしまって、その日がすごく寒かったこともあるが気が付いたのは上半身がスムーズに動いていない事。

手や腕や肩が油切れを起こしたように滑らかさを欠いている。それで思いついて上半身、特に肩甲骨周りのストレッチを翌日1日集中的にやったところ、1月5日のラウンドではパター入りまくり(29パット)。ドライバーはフェアウェイキープ率が10%台と最悪だったが、打てる場所にさえあればスコアに関係ないことが分かった。

これからもこのストレッチを継続しよう。

上半身がこわばるもう一つの理由はランニングなどの激しい運動による筋肉痛。たぶん部分的に乳酸が溜まっているような感じで、これがほぐされないと筋肉もほぐれない。ストレッチにはその効果もあった模様。ゴルフの内容についてはまた改めて。



自分は昨年5月に60歳に到達。勤務先のルールによってその月末に定年で退職し、翌月1日に嘱託として再契約。晴れて非正規労働者です(笑)

仕事の内容は実は退職前と変わらずポストも同じ管理職のまま。したがって雇用条件も同じ。世間では定年後再雇用や役職定年によって60歳以降は管理職を外れるケースが大半なのにありがたいことです。手近なところにめぼしい後任候補がいなかったり、勤務先はいわゆるジョブ型雇用モデルを目指しているものの、まだまだ機能していなくて事業部門をまたがったジョブ間での異動の仕組みが機能していなかったり、いくつか理由はあるようですが。自分が決める話ではないのでその辺はよくわかりません。

ただ今の上司であるイタリア人との組み合わせで2年が経過して、それなりに関係がうまくいっていることはあったかも。欧米ではそもそも定年の概念が無い国も多いので特に問題が無ければ現状維持を選択する傾向があるかも。20年前の自分だと、上司がイタリア人とか想像もしてませんでしたけどね。

そもそも新卒で入社した会社では55歳定年でその1年前に追い出され、特に大きな期待もせずに転職してきた先で60歳以降も働くこと自体想像していなかった。60歳になったらどうしようと6年前は思っていました。そう考えると何がどうなるかなんて人生わからないですね。

一方で仕事の中身そのものは相変わらずシビアな状況で、言いたくもない厳しいことを言わなければならない立場。本当にストレスが溜まります。前回登場したK先輩に「60歳過ぎたら仕事も気楽にできるよね」と言われてキレそうになったのはここだけの話(笑)

いちおう契約社員としての立場は65歳まで保証されていて、もしかするとそれまでにポストオフはされるかもしれません。このしんどさを考えるとポストから外れたほうが寿命が伸びるかもと思わないでもないくらい。



先日打ち合わせがあって、とりあえずもう1年は今の立場で契約が継続されることになりそう。そうすると62歳。感触的にはさらにその先ももう1回は継続しそうなのでそうすると63歳になるわけです。そうすると65歳まであと2年。

サラリーマンになって39年。社会に出てから(自分で稼ぐようになってから)43年。不思議なことに仕事をしたい気持ちが途切れたことはないし、難しければ難しいほどやる気がでるし、なんなら選択肢があったら難しい方ばかり選んできたつもりですが、それはその難しい課題を自分なりに認識して問題点を解決できると思って来られたから。

徐々に問題意識自体が薄くなってきている自覚があるし、それはつまり改善策も発想できなくなってきているわけで、今の問題意識の延長線上でしか仕事ができない可能性がある。今の意識が有効期限を迎えたら自分の賞味期限も切れる。自分の問題意識でできなくなったらポストを担うのは無理。下請け仕事しかできなくなる。経験だけでできるほどポストの仕事は甘くない。

いつまでもフルマラソンで走れないのと同じく、仕事の能力にも年齢的な限界があるということでしょう。財界や政界で80歳を過ぎても活躍している人を見るとお世辞抜きで本当にすごいなと思う。思います。


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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

しばらくブログを休んでいたのでいきなり年頭に思うところもとくにありません。年間走行距離もとくにまとめません。年始は1月2日のランから開始。約7kmをキロ6弱でゆっくりと。

最近毎日走るのはやめているのですが、ゴルフのラウンドの前日に走ると翌日にけっこう響きますね。腕がスムーズに動かない事が多い。1月3日が今年初ラウンドだったのですが、前日の7kmは自分比長めだったので、前半は全く体が動かなかった。後半は普段通りの感じだった。

ラウンド終了後のランもやめているので、前日もやめると走る日が無くなる。なのでこれは前日に走っても平常通りにラウンドできるような体の調整をすべきですね。それ以外にも、自分は2日連続のラウンドが苦手なのだが、それは1日目の疲れが2日目に残ってゴルフにならないから。前日ランニングがダメなのと同じ理屈だと思う。

ということで今年のテーマはゴルフに向けたストレッチの強化にしたい。そもそも体の柔軟性がゴルフのパフォーマンスに大きな影響があると言われているし、なんなら球をいっぱい打つよりも同じ時間でストレッチした方が効果があるという話もある。翌日に疲れを残さず柔軟性も高めるストレッチをいろいろ考えたい。



さて、先日書いた「怖い運転の話」。続きです。



そもそも自動車の運転に警戒心を持たず漫然と運転するK先輩。先週のブログ更新してから改めていろいろ考えてみた。思い出したのは、彼のクルマで我が家に送ってもらう時、よくあるのが彼が自分の家に帰ろうとすること。横にオレが乗っているのに、何も考えずに自分の家に向かおうとする。そのたびに注意してやっと気が付く。

自分が運転することを考えるとちょっと想像がつかない。ナビは設定していても自分の頭の中にも道順はあるので、分岐ポイントに来た時に今日はどっちに行くべきかを考える。それが無いということはちょっと想像がつかないが、まさに「ぼーっと」しているという事なのか。

同時に運転中に睡魔が襲ってきたときも、とにかく眠ってしまわないことに集中する。できるだけ早く休憩場所を探すのだが、そこまでたどり着くまでとにかく意識を保とうとする。なので自分はこれまで免許を取ってから40年間、1度も居眠り運転をしたことが無い。普通はそうだと思う。

そんなわけで、K先輩が居眠りをした次の機会にそのことを思い切っていろいろと話してみた。以前から運転が怖いと思っていた事、家族もそれを聞いて心配している事、もし事故が起きたらこの人間関係もたぶん終わるであろう事、などなど。

実際K先輩がこれまで事故を起こしてこなかったことは信じられないしよっぽど運が良かったのだろうし、もし仮に彼の運転で同乗している自分に何かが起きたら責任の有無にかかわらず自分の葬式に彼は出られないだろう。家族がたぶん許さない。

この話をしたときは自分が送っていく順番だったので、その次の回はK先輩のクルマに乗る番。何なら今後は全部自分が送迎するとまで言ったのだが、彼から出てきたのは「次回はとりあえずクルマを出させてほしい」という発言だった。



まあ正直よく意味が分からないですよね。こっちは命がけで乗るのに「乗ってほしい」とお願いされているわけです。しかも何を改めるというわけでもない。それでもいきなりやめたくは無かったということか。そこまで車を出すことにこだわる理由もわからない。

ただ以前から、自分がクルマを出すという事に変に執着している感じがあったのは確か。運転には全くこだわりが感じられないのに、クルマを出す事自体に何かステータス感があるかのよう。あるいはクルマを他人に出してもらうことに対する拒否感か。

自分が逆の立場に立ったと想像すると、(というかクルマの運転で逆の立場に立つことが想像できないので、例えば代わりに料理を作ってあげることを想像すると)たぶん自分が料理に関しては何もわからずに作っていた事を痛感して、自分がそれなりに上達するまでは自分が作らないでおこうと思うと思う。そのくらいにK先輩の運転はレベルが低い。



ところがそこにさらにK先輩に追い打ちをかける出来事が起きた。11月の後半に自分は海外に出張していたのだが、そこで交通事故に遭ってしまった。場所はパナマで高速道路上で会社の契約しているクルマの後部座席に座っていたところ、そのクルマが前のクルマに追突。

速度が30km/hくらいだったので、幸い同乗者も含めてけが人は出なかったのだが、自分はワンボックスカーの最後部に座って前を見ていたので、ぶつかる瞬間もばっちり見てしまった。ちょっと前のクルマに迫るスピードが速いなと思っていたら明らかに間に合わない感じになり衝突。

ぶつかる直前に自分が大きな声を出したらしく(覚えてない)、その声で他の同乗者も何かにつかまれたので、被害も最小限だったようだ。自分は海外出張でクルマに乗るとその運転ぶりを結構観察しているのだが、そのドライバー氏はそんなにスピードも出さないし、車線変更や交差点で怖い運転もしていなかった。居眠りの様子も無かったのでもしかするとスマホを見ていたのかも。



帰国して最初にクルマを運転するときはちょっとだけ違和感を覚えたものの、すぐに慣れて事故の恐怖感も無く運転ができた。しかしK先輩の運転に耐えられるかどうかは自信が無い。とりあえず事故に遭った事だけは伝えておいた。特に具体的な反応は無かったものの、おそらくこちらの懸念は伝わったのではないかと思う。

いわば海外で食中毒になったので、料理が下手な人の料理を食べる自信はありません、という感じで伝わっていればいいのだが。

こう書いていてだんだんわかってきたのだが、友人を自宅に招待するのが好きな人っているじゃないですか。クルマで送迎したがるのって、そういうのの一種なのかも。料理は上手じゃないけど家に招きたい、みたいな。だったらクルマをちゃんと掃除しとけよって話ですが(笑)

あるいは本人的には自分のクルマが高級車だという認識があるのかもしれない。若者のクルマ離れが言われて久しいが、クルマ至上主義だった時代の感覚のままだとしたら、なんだか理解できなくはない。



こうやってK先輩を散々こき下ろしていますが、車の運転が得意でない事やクルマに対する感覚について悪口が言いたいわけではなく、やっぱりよく理解できないから書くことで整理しようとしています。結局、運転もクルマ至上主義的な発想も、昔の感覚からアップデートできてないということではないか。

昔気質であることも時には大事ですが、やはり現代の感覚とのギャップを理解して必要な個所はアップデートしていくことが大事ですよね。となると自分はちゃんとアップデートできているのかが心配になる。仕事ではリモートが多いので、対面で人と接するのはゴルフするときだけ。人と接しないと自分がずれていることに気付けないが、ゴルフは自分より年配の人とやることが多いからなあ・・・

しばらくブログを休んでいて、ブログを書かないことでそういった刺激も入ってこないことに気が付いた。もちろんダイレクトにコメントで指摘してくる人はそうはいないが、他の人のブログも読むことが無くなったので、情報が入ってこない。ブログみたいな日常についての情報って雑誌やテレビでは入ってこないですよね。



長くなりましたが現場からは以上です。



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今日は5km走ったので今月はこれで約60km。無理に100kmを狙って毎日走るよりも、1日2日間を空けて走った方がペースが上がって心拍数も上げられるようだ。かつてはそういう谷間の日も疲労ぬきじょぐと称して毎日走っていたのがうそのよう。これが結局この年齢での体力という事なのだろう。

高い心拍ゾーンにどのくらいの時間居られるかのほうが、月間走行距離よりも大事な気がする。



マラソンブログなので走ることを書いた(笑)



それで今日のタイトル。かつて父にどうやって免許返上させたかは確かブログに書いた気がする。担当のケアマネの人から連絡があって、最近お父さんが町で怖い運転をしていると噂になっているとのこと。いろんな構築物にぶつけているとか、車間がやたら近いとか。

父が89歳まで運転を続けていたのは自身のケアマネとしての仕事があったからなのだが、結局仕事はやめて免許も返上した。そのとたんに急速に老け込んだのはよくある話だが、そもそも年齢を考えたら仕事を続けることで老け込むことを防いでいただけで、仕事を辞めたことで本来の姿に戻っただけだと思う。いくらなんでも89歳は遅すぎる。



自分が今通っているカントリークラブのメンバーになったのは丁度2年前で、元の職場の先輩からの紹介によるもの。その先輩とは家も近所なので、同じコンペに参加するときは代わりばんこに車を出していた。ちなみに1回の交通費はガソリン代が1000~1500円、高速代が1600円くらい。月間だと1万円くらいはかかっているので、交代で車を出すのは結構経済的。

なのだが、最初の時にその先輩、仮にK先輩としておこう、が我が家に迎えに来た時に「もしかするとこの人はあまり運転が得意ではないのでは」と思った。というのは、マンションの前の道路に縦列駐車していたのだが、左が1m近く歩道と間隔があいていたのだ。これは車幅感覚が無い証拠。最近、路駐している車でもたまに見かけますよね。30年くらい前と比べるとこういう幅寄せが下手なドライバーが増えた気がする。

そしてそのK先輩。やはり走り出してみると、車線がしっかりキープできないようだ。そしてスピードが出過ぎている。車間も適切ではない。そうするとどうなるか。周りのクルマからみるとあおり運転をしているように見える(笑)

例えば3車線の高速道路で真ん中の車線を走っていて前の車に追いついたとき、K先輩はやたらに前のクルマとの車間を詰めるのだ。しかも追い越し車線に半分くらいはみ出している。そうして追い越し車線が空くのを待って車線変更して前に出ていく。追いつかれた方からしたら、煽られていると思っても不思議ではない。

高速道路を降りたら今度はセンターラインをしばしばオーバーする。ブラインドのカーブでも平気でそのままで、対向車が来たら本来の車線に急いで戻る。ようするに反射神経で運転しているわけだ。

見通しのよい区間で対向車が突然センターラインを越えるのが見えても一切減速しない。たぶん相手がそのうちに元に戻るだろうという楽観的な観測なのだろう。自分ならそういう理由が分からない挙動のクルマは可能な限り回避する。この場合ならできるだけ減速して様子を見る。今は予測が付かないドライバーがいっぱいいますからね。

あとは左折するときにいちいち右にいったん車を振ってから曲がったりとか、ハンドルを切る時にハンドルの内側に手を添える、いわゆる「内わっぱ」というトラックの運転手とか恒例のタクシードライバーしか使わない動作をしたりと、いろんな点がアップデートできていない。



クルマの運転にはあらゆる挙動に意味があって、車線の取り方や車間の詰め方ひとつをとっても全部次の挙動に向けてのサインが含まれている。こういうことは自動車学校で散々習ってきているはずなのだが、K先輩の運転を外から見てもたぶんそういうサインは読み取れないし、K先輩も他のドライバーのサインを読んでいない。

そういうサインをきちんと発してきちんと読んでいれば、車の運転には基本的にはサプライズは無い。みんながそういうルールを守っていれば事故などは起こらないことになっているのだが、たぶんK先輩はそういう構造を理解せず、その場その場の判断でクルマを運転している。

ついでに言うと、K先輩のクルマのフロントウィンドウはびっしりと膜が張っている。たぶん4,5年載っている車なので搭乗者の吐く息に含まれる成分などが付着しているのだと思うのだが、ゴルフに向かう早朝の時間帯で朝日が昇ってきたりすると、そのまぶしさでフロントガラスが真っ白になって前が見えなくなる。

さらにいうと、K先輩は左側の車幅感覚が弱いので、左折はめっぽう苦手だ、大通りから狭い通りに左折するときなどは、反対車線に大きくはみ出して対向車がブレーキを踏むことも度々。



いったいなんでこんなことになっているのか、考えてみたのだが、おそらく彼は警戒心というものがほとんど無いのだと思う。怖い目に遭ったことが無いのか怖い目に遭っても気づいてないのかはわからない。なので、そういう怖い目に合わないようにするための工夫が無い。想像もしたことが無いのだろう。運転の仕方についてのアップデートもほとんどできていない。昭和50年代の運転だ。

ただもう一つK先輩の運転で気になることが。どうも運転そのものに対して集中していないのだ。先日も降りるべきICを通り過ぎそうになったことがあった。毎週通っている道なので、ICが近づいてきたら自動的に左の車線によって、表示を見て降りるだけなのだが、なぜかその時はそもそも左の車線に寄らなかった。

同じことが先輩のゴルフ場のカートの運転の時にもあって、本来は前の組がプレーしている間はティーグラウンドには近づかないのがマナーなのに、どんどん近づいていくので他の同伴者に注意されていたり、真夏の酷暑の中で日陰で止まらないでどんどん進んだりと、どうもその場に集中していない様子が見られた。

その様子が、まるで88歳くらいでクルマを運転していた父の姿と重なった。K先輩はまだ60代後半。考えたくはないがもしかすると加齢による認知機能に若干の衰えがあるのかもしれない。車線を守れなかったり対向車線にはみ出したりICを通り過ぎたり。

そんなことをひそかに心配していたら、先日ついに致命的なことが起きた。彼はラウンド帰りの運転で居眠りをしたのだ。最初は自分も気づかなかった。何しろ普段から車線を守らない人なので、今日もその一環で車線をはみ出しているだけなのかと思った。10分くらいフラフラした運転が続いた後にふと彼の顔を見たら寝ている!!



長くなってきたので続きは次回。



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