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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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2022・長崎編 小峰秀孝さん(81) 証言活動、命の限り /長崎

被爆して変形した自分の足の写真を見せながら、修学旅行生に体験を語る小峰さん
被爆して変形した自分の足の写真を見せながら、修学旅行生に体験を語る小峰さん

 「この前のあいさつ。もう上がってしもうてね」。長崎原爆青年乙女の会会長の小峰秀孝さん(81)=長崎市=はそう言って顔を赤らめた。5月4日の集会でスピーチしたが、予想外の参列者の多さにしどろもどろになってしまったのだ。「参ったけんね、ほんとにもう」

 会は原爆投下から11年後の1956年に結成された。被爆者運動を先導した故・山口仙二さんや故・谷口稜曄(すみてる)さんらも活動し、長崎で最も歴史のある被爆者団体だが、会員は20人足らずにまで減少。近年は休止状態が続いたが、「風化させてはいけない」と原爆資料館前に建つ会設立40周年記念碑の前で集会を開いた。久しぶりとあって他の団体代表や原爆資料館長らも詰めかけ、参加者は約50人に膨らんだ。

 「先輩方が築いた礎のお陰で会がある」と、小峰さんはかみ締めるように言った。思い出すのは、雪の日も反核を訴えて座り込みをするなど苦楽をともにした仙二さんから託された言葉だ。「お前は一番若いから、一番長く生きるはずだ。一人になっても会を解散してはだめだ」

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