大野雄大と柳田将洋 チーム愛・母への感謝・ツーシーム

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構成・木村健一 山口史朗
【本編動画】プロ野球・中日の大野雄大投手、バレーボール日本代表・柳田将洋選手のエース対談
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 野球とバレー。来年の東京五輪での活躍が期待される2競技の“エース”が、オンラインで熱い思いを語り合った。プロ野球中日の左腕・大野雄大(32)と、バレーVリーグサントリー柳田将洋(28)。話はチームへの愛着や大黒柱としての心構えから、育ててくれた母への感謝にまで広がった。

 大野は国内FA権を使わずに、3年契約を結んで残留することを決めた。柳田は欧州から日本へ復帰する際、迷わず古巣に戻った。

 大野 入団した時は肩をけがしていて、全く投げられない状態だった。それでもドラフト1位で指名して頂いた。その時の恩をまだ球団に返せていないというのが一番の思い。もっともっとドラゴンズを勝たせていかないといけない。最近はBクラスが続いていて、なかなか勝てないチームだった。強いドラゴンズを好きなファンの方が多い。もう一回強いドラゴンズを見せたい。

大野雄大(おおの・ゆうだい)

1988年9月26日生まれ、京都市出身。183センチ、83キロの左腕。京都外大西高では2年夏と3年春の甲子園に出場し、佛教大から2010年ドラフト1位で中日に入団した。150キロ超の直球と鋭く落ちるツーシームが武器。20年は11勝6敗、防御率1.82で2年連続の最優秀防御率、初の最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれた。

 柳田 最初は社員としてサントリーに入って、プロになってヨーロッパにチャレンジした。その時、チームが契約体系を変えるのを快く受け入れてくれたのも、今の自分がある大きな要因。海外で力をつけて戻ってきたら、まずはサントリーで結果を出したいという思いがあった。常に明るいチームで、攻撃的なカラーが強い。自分に合っている。

柳田将洋(やなぎだ・まさひろ)

1992年7月6日生まれ、東京都出身。186センチ、80キロのアタッカー。東京・東洋高では2010年の全国高校選抜バレー(春高)で初優勝。慶大在学中に日本代表入りし、14年10月にVリーグ・サントリーに入団した。17年にプロに転向して17、19年はドイツ、18年はポーランドのプロリーグでプレー。20年にサントリーへ復帰した。日本代表主将。

 それぞれ所属チームの大黒柱。周りに与える影響にも気を配る。

 大野 吉見一起投手という大先輩、大投手がいて、少しでも近づきたいと思いながら、日々過ごしてきた。実力だけじゃなくて、普段の行動、練習に対する姿勢が素晴らしいので、みんながついて行こうという気になる。僕はなかなか成績を残せなくて、引っ張れなかった。今年良い成績を残していく中で、後輩から「どんな気持ちで常にいるんですか」と聞かれるようになった。だんだん自分も理想としていた投手像に近づいてきたのかな。色々見られていると感じる。

 柳田 去年はコートに立てない時間もあった。周りに気を配り、プレー以外で何ができるか探しながら、チームにプラスになることを常に心がけて行動していた。エースとしては、常にボールを呼ぶ姿勢、点を取る意識をどの選手よりも持つようにしている。僕が若い時、日本代表では清水邦広選手(パナソニック)が背中で引っ張ってくれた。苦しい時には、常に点を取って、プレーで存在感を出していた。本当に頼りになる大先輩。僕もそういう選手になりたい。

 日本代表歴の長い柳田に、大野がたずねた。

エース対談は佳境へ。試合でのメンタリティー、大野投手のツーシーム、母親への思い、と話は尽きません。ドラゴンズ愛に満ちた特集ページ、柳田選手のまとめページもあります。

 大野 年齢が僕よりも四つ下…

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この記事を書いた人
木村健一
スポーツ部次長|高校野球・ゴルフ担当
専門・関心分野
スポーツと社会・ビジネス、調査報道、オリンピック、野球、ゴルフ