羽生善治の復活 「檜舞台で顔を合わせる日を」の誓いから5年
勝利を確信した彼の指先は震えていた。盤に駒を着手する度、何度も震えた。将棋の羽生善治九段(52)が藤井聡太王将(20)への挑戦権を獲得した。22日、第72期王将戦決定リーグ戦の最終戦で豊島将之九段(32)に勝ち、誰もが夢見たゴールデンカードを自らの手で実現させた。
激しい呼吸音が聞こえている。
最終盤だった。対局室の中継マイクは羽生善治がすーっと息を吸い込む音、ふーっと吐き出す音を拾い続けていた。
視線は盤上の自陣から敵陣へと往復している。上体は盤に覆いかぶさりながら前後に揺れている。もたれかかる脇息(きょうそく)は斜めに傾き、駒台に置かれた歩は乱れている。
全てを成し遂げた棋士の様相ではなく、目の前の一局に勝つことを狂おしく渇望する棋士の姿があった。
AI(人工知能)による評価値は羽生の90%以上、豊島将之の数%と大差を示していたが、人間ならざるものの尺度に過ぎない。たった一手だけ間違えると事件、つまり大逆転劇の危険を秘めた盤上だった。
中盤の失着で一気に敗勢に陥った豊島だったが、不屈の粘りで局面を複雑化しながら罠(わな)を仕掛け続けた。いかなる状況下でも最善手を求め続ける棋士としての信念を表現する戦いだった。
終局が近づく。王手の銀を打ち込む時、羽生の右手指先は激しく震えた。勝利を確信した時に起きる現象が再び現れた。続いて、銀を成っていく一手、玉頭に歩をたたく一手でも何度も震わせた。
羽生の指先が震える瞬間は、見る者が心を震わせる瞬間でもある。以前、理由を教えてくれた。
5年前、羽生は藤井に対し「檜舞台で顔を合わせる日を楽しみにしています」とメッセージを贈っている。あれからの苦闘と復活とは。
「なぜ震えるのか、と問われ…
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- 【視点】
北野新太氏が書く将棋の記事はすこぶる面白い。呼吸の乱れや手の震えなど、身体的な描写を克明に表現するその文体は、まるでその場にいるかのような臨場感をもたらしてくれる。思考や、それに伴う創造性が醍醐味の将棋が、スポーツのような身体性を伴うものと
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