第1回「死を覚悟させる部活って…」 息子が残した手紙に両親が思うこと

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 やさしくて、穏やかで、思いやりのある息子だった。何より、バスケットボールが大好きな子だった。

 「僕は今、キャプテンとして部活に取り組んでいます」

 そんな書き出しで息子がルーズリーフにつづった文章を読むたび、母親(54)は胸が強く締め付けられる。

 高校2年生、17歳だった息子は10年前、強豪校として知られる大阪市立桜宮高校(現府立)バスケ部でキャプテンをしていた。文章は、その年の12月19日に当時46歳だった男性顧問宛てに書いた手紙だった。

 「僕は先生に言われたことをしようとは思っています。考えようと努力もしています。でも、なかなかできないです」

 「先生は僕に完璧な人間になれと言っているようにしか僕は聞こえないです」

 「なぜ、翌日に僕だけがあんなにシバき回されなければならないのですか?」

 「僕は問題起こしましたか。キャプテンしばけば解決すると思っているのですか」

 「もう僕はこの学校に行きたくないです。それが僕の意志です」

 キャプテンとしてチームを強くしようとしていた。だが、顧問による暴力や高圧的な言葉に悩まされていた。

 手紙は結局、部員に止められた。息子は渡さずじまいだった。

 手紙を書いた3日後。顧問は「プレーが意に沿わない」と大勢の選手がいるコートで延々と息子の顔を殴った。

 「30、40発たたかれた」

 息子は帰ってくると、母親にそう言った。

顧問からの暴力を苦に、バスケ部キャプテンが自殺してから10年になります。両親はどう過ごしてきたのか、部活動に対して今、何を思うのかを話してくれました。記事の最後では、部員が顧問に宛てた手紙の内容も掲載しています。

 母親は、顧問に対する不信感をぽつぽつと漏らす息子の言葉を連日、聞いてきた。それでも、その暴力をどうすれば止められるのかわからず、戸惑うことしかできなかった。

 母親はその夜、息子の部屋のドア越しから机にルーズリーフが置かれているのを見た。

 「冬休みに入るこのタイミングで勉強しているなんておかしいな」

 違和感を持ったが、「はよ寝なさいね」と声をかけただけだった。

 翌日の12月23日、息子は自殺した。

 後に、あのとき、机に置かれていたルーズリーフは家族にあてた「遺書」だったことがわかった。

 「どうしたら救えたのか。何かできることがあったんじゃないか。いまもそんなことを考えてしまうんです」

 息子の死から10年が経ち、その遺書に抱く印象は少しだけ変わった。

 きちょうめんに、行間びっし…

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この記事を書いた人
長野佑介
東京社会部兼ネットワーク報道本部
専門・関心分野
時事ニュース全般、地方自治、選挙、言論・メディア
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    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2022年12月17日17時38分 投稿
    【提案】

    スポーツから暴力をなくせ! スポーツ界が本腰を入れて改善を図るきっかけとなった「桜宮」の事件から、まもなく10年が経ちます。今もなお、根絶は遂げられていません。  朝日新聞デジタルでは年末にかけて、スポーツの暴力的指導の現在地や、根絶

    …続きを読む