負の遺産かレガシーか 長野五輪25年、荻原健司が考える地元の未来

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菅沼遼
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 1998年2月7日の長野オリンピック(五輪)の開会式。白いコートをまとい、首には赤いマフラーを巻いて、スタジアムの中央に立った。

 左手でオリンピック旗の端をつかみながら、選手宣誓をした。「長野オリンピック参加選手代表、荻原健司」。日本選手団主将としての大役を果たした。

 「昨日のことのように思い起こされますね。こんな幸せな競技人生はなかったなと思います」。そう懐かしむ今は、その開催都市の市長を務める。

 ノルディックスキー複合のワールドカップで前人未到の個人総合3連覇を果たし、「キング・オブ・スキー」と呼ばれた。最初に主将の依頼が来た時、「競技に集中したい」と断った。だが日本オリンピック委員会(JOC)から再び「我々の総意だ」と頼まれ、引き受けた。

 「今思えば引き受けてよかった。感謝しかないですよ。その気持ちが、市長選に立候補したベースにあるのは間違いない」。2021年10月に初当選した。

 「長野市の皆さんが一丸になって招致し、成功させた。そういうエネルギーがある街と市民がいるところだと思う」と語る。

1998年2月、長野五輪が開かれました。「キング・オブ・スキー」として名を馳せた選手団主将はいま、長野市のトップを務めています。25年が経過し、残された競技施設の未来を考えます。

長野市に残った大規模施設

 市政運営の上でも五輪施設は…

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