第1回遠足から「娘が帰宅しない」 吉川友梨さん、記録からたどる20年間

【動画】吉川友梨さん行方不明事件から20年
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 その日は、待ちに待った遠足だった。

 2003年5月20日。大阪府熊取町立北小学校4年生の吉川友梨さんは、家族で一番早く目を覚ました。

 前夜のうちに黄色のリュックに荷物を詰めていた。白いブラウスと紺のスカートの制服に着替え、ピンク地に赤の星柄が入った靴下を選んだ。

 支度をすませ、玄関で赤い3本ラインが入った紺色のスニーカーをはく。買ってもらったばかりの新品だった。

【地図で当時の状況解説】忽然 吉川友梨さんを捜しています

吉川友梨さんが行方不明になった現場周辺地図や目撃証言などから、当時の状況や犯人につながる情報を振り返ります。

 「ばっちりや。行ってくるわ」

 父の永明さんは、友梨さんの元気な声を聞いて見送った後、友梨さんが傘を持っていなかったことに気づいた。

 バイクで追いかけると、友達と歩く娘の姿を見つけた。

 「傘持っていけへんのか」

 「いらんよ」

 「そしたらもう帰るわな」

     ◇

「バイバイ」と最後に手を振った

 大阪府南部の熊取町は人口約4万3千人。繊維産業が盛んで、1960年代に宅地造成が進み、農村から都市近郊の住宅都市へ変貌(へんぼう)していった。

 三方を住宅に囲まれた北小学校は全校児童600人余り。4年生の遠足の目的地は約40キロ先の大阪市だった。大型バスで出発し、水道記念館と下水道科学館を見学し、お昼を食べた後、学校に戻った。

 到着は午後2時半ごろ。バスから降り、正門近くに集まった児童らに、担任の先生が「気をつけて帰るように」と伝え、解散となった。

 友梨さんは帰り道が同じ方向の同級生の女児4人と一緒に学校を出た。

 まず、学校に一番近い家に住む1人と別れた。

 友梨さんと3人の同級生は住宅街を抜け、田畑や竹林が広がる道を進んだ。

 学校から1キロほど離れた七山交差点にさしかかるころ、友梨さんは3人より少し先を歩いていた。

 友梨さんの自宅は、交差点を右折した先だ。3人の家は交差点をまっすぐ進んだ先にあるため、いつもここで別れていた。

 友梨さんは交差点を右に曲がり、自宅へと続く緩やかな坂をのぼっていった。やや遅れて交差点に着いた3人は、友梨さんの後ろ姿に向かって声をかけた。

 「バイバイ」

 友梨さんは振り返り、同じよ…

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