秀吉の家臣が飛驒の山城を改修? 巨石で組んだ門を確認、発掘調査で

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荻野好弘
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 岐阜県高山市は7日、市街地の南西にある県史跡「松倉城跡」で進めてきた発掘調査で、巨石を組んだ埋門(うずみもん)などを三ノ丸跡で確認したと発表した。専門家は「日本の城郭建築を考えるうえで貴重な遺構」と評価する。市教育委員会は調査報告書をまとめ、来年度にも国の史跡指定を申請する方針。

 市教委によると、松倉城は高山盆地を望む松倉山(標高856・7メートル)に築かれた戦国時代の山城。飛驒地方の武将三木自綱(みつきよりつな)が築城し、その後、豊臣秀吉の家臣金森長近の手に落ちたとされる。1956年、県史跡に指定された。

 市教委は国の史跡指定をめざし2019年に発掘調査を開始。20年度までに山頂にある本丸曲輪や城の出入り口にあたる出枡形虎口(でますがたこぐち)を調査した。今回はそれ以降に発掘した二ノ丸と三ノ丸などの結果を発表した。

 調査を指導した中井均・滋賀県立大学名誉教授(日本城郭史)が注目したのは、城の裏口にあたる三ノ丸の搦手(からめて)門が埋門形式だったことだという。

市教委は17日午前10時と午後1時半の2回、現地説明会を予定しています。

 埋門は石垣の内部や塀の下にある小さな門だが、松倉城跡では石累(せきるい)で門(内側の高さ1・5メートル)を構えて屋根材も石板を使い、地面に敷石を配する構造。

 類似する構造は福井県の小丸城跡などにみられるものの、中井名誉教授は「屋根材や両脇の石累の加工の見事さは比べようもなく、実に精緻(せいち)に造られている。日本の城郭建築を考えるうえで貴重な遺構と評価できる」とコメントした。

 三ノ丸の調査では隅櫓(すみ…

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