■東畑開人さんの「社会季評」
何かあると、ひとまずChatGPT(チャットGPT)に相談してしまう日々である。二日酔いの解決策を尋ねて、「お酒を飲まなければいいのです」と返ってきたときには脱力したが、全国紙ではとても書けないような悩みを打ち明けて、核心に迫るコメントをされたときには動揺し、しばし己を見つめ直した。AI(人工知能)恐るべし。
現時点では見当違いな回答も多々あるにせよ、技術の改良とデータの蓄積によって、その精度は上がっていくはずである。そうなったときに、果たして人間相手に悩みを打ち明ける必要はあるのだろうか?
このようなAIと人間との比較は、心の相談に限らず、あらゆる仕事について議論されている現代的問題であろう。私の見る限り、AIの情報処理的回答には限界があるから、全面的に依存するのは危険であると警鐘が鳴らされている。人間ならではの、感情を汲(く)み取ったり、文脈を読んだり、新しい着想を得たりする能力、のあくまで補助手段とすべきだという見解が多いようだ。
しかし、ここに疑念がある。このような見解には、AIには持ちえない人間的能力への賛歌があるように見えるのだが、心の悩みの多くが人間関係の悩みであることを思うと、そもそも人間こそが傷つけ、悩みをもたらす当のものではなかったか。人間は本当に素晴らしいのか?
将来的にAIが悪意をもって…