「幻の古陶」珠洲焼を震災復興の希望の灯し火に 吉岡康暢氏寄稿
平安末期から室町後期の東日本海域で栄華を誇り、やがてふっつりと姿を消した「幻の古陶」――。石川県珠洲市で震度6強を観測した能登地震は、かつてこの土地で生産された「珠洲焼」の貴重な資料と、中世の技法を復活させて制作に取り組む現代の作家らを襲った。珠洲焼の魅力と、その被害から見えるものは何か。国立歴史民俗博物館の吉岡康暢・名誉教授に寄稿してもらった。
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本年五月五日、珠洲市を中心に能登を強震が襲い、住宅・店舗など千八百棟余りが破損、中世日本海文化のシンボル珠洲焼を展示・保存する珠洲焼資料館、モダン珠洲の創作を目指す五十余人の作家の陶房も被災した。
施設・収蔵品と全職員が津波にのみ込まれる博物館もあった東日本大震災(二〇一一年)以降、フランスのノートルダム大聖堂、琉球王國(おうこく)の首里城(ともに二〇一九年焼損)をはじめ、世界の国民的文化遺産の受難が続き、復興への取り組みが今も行われている。これらの有形文化財は、それぞれが創造された時代の政治・経済や宗教活動の輝かしい、ときには悲劇の証人として、幾多の争乱と災害を越えて守り継がれてきた。それゆえいったん毀損(きそん)すれば歴史的価値は失われ、修復すればすむものではない。
街並(まちなみ)の復旧に追われるさなか、博物館活動は二の次という意見があるかもしれないが、地域で育った文化財は、工夫次第で市民に広がった心労と孤独感を和らげ、復興へ向かわせる力が潜んでいることが、東北の各地から報告されている。石川県下約八十館の博物館が連携し、十六年前の輪島市を中心とした能登半島地震の検証を含めた災害対策のマニュアルを作ってほしい。
ここであらためて、四季の祭り、漆芸、塩づくりと並ぶ能登ブランドである珠洲焼の歴史と魅力を探ってみよう。珠洲焼が生まれた中世は災害と戦乱にみまわれながら、民衆、とくに女性の社会進出がめざましく、近・現代の原点と言える時代であった。衣・食・住のライフスタイルの革命が進み、焼き物も利便性・機能性が優先され、貯蔵・調理具として甕(かめ)・壺(つぼ)・擂鉢(すりばち)の特産地が出現する。
珠洲窯は十二世紀半ば、珠洲…
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