第8回つんく♂「天才はいたけど採らなかった」 才能よりも大事な成功の源
成功のためには才能よりも大事なものがある。オーディションで幾多の才能を見てきた音楽プロデューサーのつんく♂さんは、近著「凡人が天才に勝つ方法」で才能論を説いた。肌身で感じた様々な才能、能力を伸ばす指導法、努力の必要性の有無……。天才的プロデューサーに才能について尋ねた。
あたまの10秒でゾクゾクした松浦亜弥、画面越しで確信した後藤真希
――歌手としても、プロデューサーとしても、多くのヒット曲を手がけられています。つんく♂さんは天才ではないのでしょうか?
「結論から言うと、僕は天才ではありません」
「小学生の時にスイミングを習っていて、学校ではみんなから『速い速い』と言われていたけど、大阪大会になると予選落ち。中学では陸上をやって毎日のように練習したけど、大阪大会では決勝に残れるかどうかでメダルには届かない。勉強も塾に通わせてもらったけど、全国模試を受けると上位にいろんなやつがいてごく普通の成績。何をやってもこの程度かよと思っていました」
「楽器は中学の頃から本格的に始めましたが、高校は1学年が1千人超のマンモス校。それだけいると楽器やる人もたくさんいて、本当に上手なすごいやつもいて、ここでも僕は普通なんです。もう色んな壁にぶつかって、甲子園からプロ野球に進むやつはすごいなぁ、東大や京大に入るやつはやっぱり全然違うんやろなぁと単純にリスペクトしていました」
連載「天才観測」
藤井聡太八冠や大谷翔平選手ら前人未到の境地を切りひらく「天才」の活躍に沸いています。天才が社会にもたらすもの、人々が天才に託すもの、現代の天才について考えます。
――ミリオンセラーを連発していた時も「普通」だと思っていたのですか?
「数をたくさん作ったことでコツをつかんだようなもので、天才的な才能というものではなかったと思います。曲がひらめくなんていうこともなくて、絞り出すようにしてとにかく作っていました」
「20歳過ぎで芸能界入りして、いろんな才能と出会い、もまれて、なんだかんだで三十数年が過ぎました。振り返ってみると、よくうまいこと食べてこられたなと思う自分がいます。この世界でも自分は普通だなと感じる場面が何度もありました。坂本龍一さんと一緒に仕事をさせてもらった時なんか、僕とははるかに違う才能を感じました」
「Mr.Childrenはアマチュアの時からほぼ同期で、大阪から東京の彼らを見ていました。桜井和寿君の声がすごい好きで、憧れであり、ライバル以上の尊敬すべき存在でしたね。仮想敵と呼んでいますが、曲作りでもミスチルと同じことをやってもかなわないから違うことをやろうとしました。彼らがいなかったら僕たちはいないと思っています」
――逆にプロデューサーの立場として、オーディションで一目見たときに「この子は天才だ」と感じた人はいたのでしょうか?
「いたかいないかで言うと…