第7回坂本龍一さんと島唄と美しさ 元BOOM宮沢和史さんの道しるべ

有料記事坂本龍一が遺したもの

聞き手・山内深紗子
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 「島唄」などの曲で知られる元「THE BOOM」のボーカル宮沢和史さん(58)は、坂本龍一さんの音楽にある「美しさ」にあこがれ、背中を追いかけてきた。沖縄戦の鎮魂と平和への思いをこめた「島唄」を世界中で歌い続け、子どもたちにも伝えている。坂本さん亡き今、伝えたいこととは。

 ――坂本龍一さんとの出会いは?

 もちろん音楽でした。中学2年生の時、フォークソングをつくっては、毎晩弾き語りに明け暮れていました。そんなある日、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」を聴いてみた。その中の「DAY TRIPPER」を聴いて、脳に電流が走りました。身体の血液が入れ替わり、生まれ変わったような衝撃を受けました。

 そこから、YMO、そして坂本龍一さんの音楽はすべて聴き続けています。

 坂本さんの音楽の最大の魅力は、「音の良さ」だと思います。世の中の価値をひっくり返すような「実験的音楽の革命児」から、自然音に回帰し、遺作「12」まで、それは一貫してゆるぎがない。

 そして、その音楽のキャリアは大きな水脈のようでした。ひとつのジャンルに所属するのではなく、古今東西のあらゆる音楽に触れ、学び、最良の音を選び取り、それを美しく構築し、最高の品質に高めた作品を世の中に送り続ける人でした。亡くなったと知ったとき、今後の音楽界がどうなるのか、と僕は不安を覚え、身震いをしたことを今でも覚えています。

 ――実際に会ったのは?

 デビュー後です。シンガー・ソングライターの矢野顕子さんとご一緒することがあり、その時パートナーだった坂本さんとも食事をご一緒するようになりました。ニューヨークに遊びに行って一緒に釣りをしたことも。あまりに緊張して音楽のことは話せなかったのですが、偉大なのに、とても気さくな方でした。

沖縄民謡に魅了された YMOの影響

 僕が沖縄民謡のとりこになったのは、YMOの3人がそれぞれ沖縄を採り入れていたことの影響が少なくありません。

 沖縄民謡に惹(ひ)かれて沖…

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この記事を書いた人
山内深紗子
デジタル企画報道部|言論サイトRe:Ron
専門・関心分野
子どもの貧困・虐待・がん・レジリエンス
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