能登半島の先端で140年にわたって海を照らしてきた灯台のレンズが、元日の地震で傷ついた。作り直すのは難しいとされ、国はLEDへの切り替えを計画する。夜明けとともに「灯台守」がすすを拭い、レンズを継いできた地元には、変わらぬ姿での復旧を望む声もある。
石川県珠洲市の狼煙(のろし)町(まち)。眼前の日本海は暗礁が多く、船の座礁を防ぐためにのろしをあげていたことが地名の由来と伝わる。その岬に1883(明治16)年、白亜の禄剛埼(ろっこうさき)灯台が造られた。
当時は開国を迫る黒船来航から30年が経ったころ。各地で洋式灯台が整備されていた。
完成時に据えられたのが、湾曲したガラスをギザギザ状に配置するフランス製フレネル式レンズ(高さ2・4メートル、直径1・4メートル)。光を集めて強力にし、遠くまで届ける心臓部だ。断崖に立つ高さ12メートルの灯台は、海面から48メートルの高さから18カイリ(約33キロ)先までを照らしてきた。
元日の能登半島地震でこのレンズが壊れ、落下した。近くに住む元漁師の前田律太郎さん(92)は「狼煙の人は、禄剛埼灯台の光を頼りにやってきたさかいね、貴重な宝物やった」と話す。レンズが届ける明かりは帰る港の目印だっただけではない。GPSも魚群探知機もなかった時代、半島にそびえる山伏山の尾根と、手前の灯台の見え方から、自船の位置を見極めた。
映画「喜びも悲しみも幾歳月」が描いたように、かつてここにも航海の安全のために灯をともしつづけた灯台守がいました。大きな地震に見舞われた地域にとって、灯台は希望を託す復興の象徴でもあります。
いまの光源は電気だが、19…
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