第1回「世間の人はあまりにも知らん」 隔離と差別、トシオさんが語る半生

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中野晃
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 俺の名前は「トシオ」と言います。1950年生まれで満73歳です。妻と2人で大阪市内の市営住宅で暮らしています。

 右手にはいつも手袋をはめています。病気の後遺症で、親指と小指の付け根あたりがえぐられたようになっているんです。ぱっと見ても分からんという人もおるけど、友達に「お前の手、どないしたんや」って聞かれるのが嫌なんです。

  もともと右利きでしたが、神経痛がひどくなると右手が使えないので、左手でも箸を持てるようになりました。足にも少し知覚まひがあって、ケアが欠かせません。

 でも、何も言わなかったら、俺がハンセン病になって治癒した回復者だとは分からないでしょう。まったく知らない親類もいます。話したことがないし、いまも話せへん。

 妻との間には子どもが3人いて、うち息子1人が結婚して孫がいます。その子は、嫁に父親がハンセン病回復者であることをきちんと話したいと言うけれど、俺が「やめとけ」って止めています。嫁から「お義父(とう)さんはハンセン病やったんや」って見られるのが嫌やし、嫁にプレッシャーを与えたくないねん。

 何十年ものつきあいで、毎日のように足を運んでいる飲食店のマスターやほかの常連客も知りません。店のテレビでハンセン病のことが流れていた時、知らんふりして「ハンセン病ってどんな病気」と聞くと、「体が腐る病気や」とか言われた。しょせんは人ごとで親身になって聞いてもらえそうにないし、もう黙っといた方がいいって思ったんです。

 俺がハンセン病やったって言った途端、相手の態度ががらりと変わってしまうかも知れん。裏切られたような気持ちになって、落ち込むのが嫌なんです。同じ回復者の中には「偏見があったら正しい知識を説明せんと」って言う人もおるけど、国の隔離政策がなくなってまだ30年も経ってへん。「国策差別」で恐ろしい伝染病という誤解と偏見が植え付けられたんです。

     ◇…

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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2024年6月20日12時0分 投稿
    【視点】

    こんな句も。 故里(ふるさと)につながる蜜柑(みかん)ころがれり  村越化石 10代にハンセン病を患って故里を離れた村越化石のこの句の背景には、ハンセン病の患者とその家族が甚だしい偏見や差別にさらされた悲しい現実がある。 この連載を読

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