第5回10年遅れの高校生活 「あんぽんたん」が教わった「人の道」

治療のため再び瀬戸内海の島にあるハンセン病療養所に戻ったトシオさん。意を決して20代後半で高校生活を送ることになります。そこで出会った先生との出会いは、生涯忘れられぬものとなりました。

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 大阪から再び長島愛生園(岡山県瀬戸内市)に戻ってからは、体の不自由な入所者を車に乗せて移動を手伝う仕事をしていました。先輩の入所者からいろいろと声をかけられるんですが、二十歳も過ぎて立派な大人やというのに、まともな受け答えができない。長いこと自治会にいる先輩から「トシ君。高校に行け」と言われました。

 長島には県立邑久高校の新良田(にいらだ)教室という定時制の高校(4年制)が1955(昭和30)年に開校し、全国各地の療養所から高校で学びたいという入所者が集まり、寮生活をしながら勉強していました。長島では「新良田高校」って呼ばれていました。

 中学3年で軽快退所し、いろんな仕事を経験しましたが、どれも長続きしないし、自分のことを「あんぽんたんの未熟者」と思っていました。寮生活が条件になっているし、どないしようかと葛藤がありましたが、自分に教育をつけなあかんと決心したんです。

 入学試験を受けて、76(昭和51)年の春、25歳で高校生になりました。開校間もないころは競争率が高く、生徒も何十人とおったようですが、俺の同期の入学生は中学を出たばかりの女子2人だけでした。むかし少年舎で俺が「ボス」やったっていうのが学校に伝わっていたのか、入学時には教頭先生から「暴力をふるったら即退学になる」と厳しく言われました。

 「年上のお前が15歳の子の気持ちを分かってあげるように」と注意してくれたのが「楽前(らくぜん)先生」です。この先生と出会って、高校に行ってほんまによかったなあって思います。

 楽前先生は、資本主義と社会主義の違いとか社会の仕組みもいろいろ教えてくれました。おかげで政治や社会の問題にも関心をもつようになりました。今もテレビで時々国会中継を見たりするけど、先生が目を見開いてくれたんやと思います。

 それまで、なんで病気のこと…

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