近代化支えた箕作阮甫を描く 幕末の洋学者 津山市がマンガ化
幕末維新へと突入する契機になったペリー来航時にアメリカ大統領の親書を翻訳するなどの活躍をした、津山藩医で洋学者の箕作阮甫(みつくりげんぽ)(1799~1863)。その生涯を描いたマンガ「ふるさとの偉人 箕作阮甫」を、出身地の岡山県津山市が制作した。発行を担った津山洋学資料館は「偉大な郷土の先人を子どもたちに知ってもらい、郷土に誇りをもってもらいたい」としている。
阮甫は藩医だった箕作貞固の三男として津山で生まれた。市内には少年期を過ごした生家(国指定史跡)が残っている。幼いころに父や兄を亡くし、12歳で家の主として働かなければならなかった。江戸に出た後も自宅が火事で焼け、苦難が続いたが、学問に励み続けた。
学者としては、翻訳で頭角を現した。医学や語学、地理学、海外情報、兵法関係などの西洋の本を次々に翻訳し、日本の近代化に貢献した。
大きな仕事の一つが、外交交渉に尽力したこと。鎖国をしていた日本に1853年、アメリカ海軍のペリー提督が黒船に乗ってやってきた。ペリーが持参したフィルモア大統領の親書はオランダ語で書かれていたため、阮甫らが4日間かけて翻訳した。親書では日本に開国や交易などを求めていた。
阮甫は、幕末に幕府がつくった洋学の研究と教育のための機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」(東京大学の前身)の教授職に任命された。「日本初の大学教授」とも言われている。教授たちを指導する立場でもあったという。
マンガでは、阮甫が幕末の激動期を学者として生き抜いた生涯をわかりやすく紹介。阮甫の養子で、坂本龍馬ら幕末の志士らに影響を与えたとされる世界地図「新製輿地全図(しんせいよちぜんず)」を作製した箕作省吾ら阮甫の子孫の活躍や、生家周辺の地図も掲載している。
B6判、100ページ。B&G財団(東京)の助成を受けて、約320万円で1550冊を発行した。作画は笠岡市在住で地域の歴史マンガを多数手がけてきた南一平さんが担った。マンガは津山市内の小学校や図書館に配ったほか、県内の図書館や全国の博物館にも送った。市は今年度中に販売用に増刷する予定。
津山洋学資料館の小島徹館長は「阮甫は逆境にもめげず研究を継続し、大きな仕事を成し遂げた。その生き様を市民のみなさんに知ってほしい」と話している。