ハンセン病で光失った「長島のゴッホ」 絵の旅路を見届け、逝く

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山本悠理
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 瀬戸内海にのぞむ国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)。ここで「長島のゴッホ」と画才をたたえられた一人の入所者が、2月、85年の生涯を静かに終えた。

 彼が少年時代に描いた一枚の絵は、作り手が世を去ったいま、また新しく命を吹き込まれようとしている。

「巌窟王」に重ねた自分 絵筆に込めた絶望

 1938年、山村昇さんは大阪・西成の8人きょうだいの末っ子として生を受けた。

 日が暮れるまで外で遊び、家に帰れば母親が用意してくれた夕食の香り。そんな幸せな幼少期は、突如として断ち切られた。

 体に異変を感じた山村さんはハンセン病と診断され、11歳で長島愛生園に入所した。当時は誤った認識に基づく差別や偏見が強く、家族とともに暮らすことは許されなかった。

 どうしても母親に会いたい。自分はずっと、ここにいなければいけないのか……。

 孤独と絶望に苦しんだ少年は、監獄に島流しにされた「巌窟(がんくつ)王」の姿に自らを重ねた。

 入所からほどなく、園内の学校であった美術の授業で、「自分の思った心情を描きなさい」というお題が出された。

 上のきょうだいの影響を受け、幼い頃から絵を描くことが好きだった山村さんは、園の暮らしで抱いた思いを、絵に注ぎ込んだ。

 出来上がったのは、一枚の不思議な水彩画だった。

両目の光失い ちりぢりになった絵

 画紙いっぱいに広がるのは…

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この記事を書いた人
山本悠理
デジタル企画報道部
専門・関心分野
現代詩、現代思想、演劇・演芸、法律学