第1回「辞書に出てこない」被爆体験者と呼ばれて 首相に訴える差別の苦悩
岩永千代子さん(88)は7月、長崎市内の自宅でテーブルに向かった。家の中にはキリスト像や聖母マリアの絵が飾られている。ペンを丁寧に走らせる。
「国は分断・差別を排除し、真実に向き合い、国民の命を擁護してもらいたい」
1枚の便箋に記されたタイトルには「8月9日 岸田総理と面談時の発言内容」とあった。
岩永さんは79年前の8月9日、被爆者と同じように原爆にあった。しかし、国が指定する「被爆地域」の外だったため被爆者になれず、「被爆体験者」という名称で区別された。
岩永さんは、広島になく、「辞書を引いても出てこない」名称ではなく、「被爆者」になるために20年近く闘い続けてきた。
そして今年の8月9日、「被爆体験者」の代表として初めて、岸田文雄首相と面談することになった。
岸田氏に伝えたい言葉を探す。これまでの人生や、他の被爆体験者の境遇に思いをめぐらす。手は自然に「分断・差別」と動いていた。
あの日、9歳だった岩永さんは、爆心地から約10・5キロの地点を歩いていた。畑からの帰り道、上空に2機の飛行機が見えたと思うと、光と爆風に襲われた。1週間後、毛が抜け、歯茎から血が出た。顔も腫れた。
大人になり、教員になっても体調を崩すことが多かった。40代には、たんに血が混じるなどの症状が出た。「甲状腺機能低下症」の治療も受けた。
でも、国が引いた線で、医療的な支援は受けられなかった。
「おかしかね……」 同じ12キロなのに「被爆者」になれない
1957年、国は原爆医療法…
- 【視点】
まずは、正義のために闘い続ける人々を尊敬します。 さらに、政府が被爆地域を指定する「科学的・合理的な根拠」は何でしょう?知りたいと思いました。科学の知識はトライアル&エラーで日々向上していくもので、絶対的なものではありません。よって、原爆の
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