働き者の母が伝えてくれたこと 信長貴富さんが感じる原爆の「傷痕」

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 私の記憶の中にある母は家でも外でも、いつも働いていた。私が保育園に入れる年齢に達してから、母が勤めに出ていない時期はほとんどなかったのではないだろうか。

 あるとき、まだ小さかった私は、母の手の爪がいつも短く整えられているのを見て、おとなは爪が伸びないのかと質問したことがあった。母はこう答えた。

 「おとなは働いとると、自然と爪が削れるんよ」

 なるほど、子どもは働いていないから爪が伸びるんだな。おとなは大変だな、と私は長い間そのことを信じていた。私にそう思い込ませるくらい母は働き者だったのである。

同じ広島の中でも

 80歳を過ぎた今ではさすがに勤めには出ていないが、埼玉で一人暮らしをきっちりと営んでいる。そんな母の元気な姿からは想像しにくいのだが、子どもの頃は病弱で、学校も休みがちだったという。

 母は広島市で生まれ、3歳の…

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