人間国宝の心つかむ「格別の白」
天草陶石ものがたり ①仲間と採石現場に視察
陶芸作家として栄誉の階段を上っていく父の姿がまぶしく映った。今泉今右衛門さん(61)が美大在学中の1981年。先代の父は実力日本一を選ぶと銘打った日本陶芸展で最高賞に輝いた。
江戸期から続く有田焼の名門。受け継ぐのは兄だと思っていた。武蔵野美大で専攻したのは金工。金属でオブジェのような作品を作っていた。
「同じ学科の80人の中で下の方をうろうろしていた」。ものづくりの道筋が見えてこないと悩んだ。「オレはこの先、どうなるんやろ」
父の下に入ったのは90年。その前年、父は色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されていた。家業を手伝う傍ら、オブジェづくりにも取り組んだ。
ある年の正月。祝いの席で父が切り出した。
「次の代をどうするか、この1年で兄弟ふたりで決めろ」
翌年の正月、兄が決断を下した。
「自分は商売で支えるから、作るのはおまえがやれ」
兄から直接理由は聞かされなかったが、「自分より弟の方が制作に向いているように見えた」と話していることを人づてに聞いた。
*
方向転換を迫られて目をつけたのが、伝統技法の「墨はじき」。墨に含まれる成分が絵の具をはじき、その後に窯で焼くと墨が焼き飛び、白抜きの文様が現れる。有田焼ならではの地肌の白さが生きる。
元々はわき役の技法だ。赤や緑、黄の色絵で描かれた主文様を引き立たせるために、背景として多く使われてきた。
「わき役にも手間をかけるのが色絵の精神」。伝統の奥深さに引き込まれるとともに、「これを主役に持ってきたら」と思いたった。
逆転の発想で生まれた作品は96年の日本伝統工芸展で初入選した。2年後には入賞。雪の結晶をイメージした白抜き文様が代表作として知られるようになってゆく。
父が亡くなった翌年の2002年、14代を襲名。14年に父と同じ分野で人間国宝の認定を受けた。「人間国宝の跡継ぎ」という周囲からの重圧をはね返して、2代続けての快挙を成し遂げた。
*
有明海をフェリーで渡る。向かう先は天草下島。今泉さんは昨年12月、陶石を採掘している上田陶石(熊本県天草市)と木山陶石鉱業所(熊本県苓北町)の2社を訪ねた。
山あいに入ると、露天掘りの採石現場が現れる。重機で掘削しているのはマグマが冷えて固まった火成岩の一種。天草陶石と呼ばれ、磁器づくりの原料になる。砕いて水中で沈殿させると粘土成分を抽出できる。
「天草陶石のお陰で、有田は焼き物の町として存続してこられた」
作家仲間とともに、採石現場を数年ごとに視察する。現状を知り、天草陶石のありがたみを改めて思い起こすためだ。
「有田焼が白いのは当たり前と思っているが、この白さがあるから、有田は今も仕事ができる。有田焼にとって、磁器の白さには格別の思い入れがある」
*
有田にはかの有名な泉山陶石があるのになぜ、天草陶石を使うのか。
江戸初期に発見された泉山磁石場が有田焼の礎を築いたのはよく知られている。ところが佐賀藩の保護がなくなった明治以降、天草陶石が流入。品質の高さで知られ、今や肥前窯業(ようぎょう)圏に行き渡った。
◇
その誕生に「奇跡」が絡む天草陶石。この石にまつわる人々の物語を描く。全13回。
(元朝日新聞記者・田中彰)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。
【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら