小林克也さん英語力の原点 ほうきを持ってまねしたあの大スターの歌

有料記事語学の扉

聞き手・山根祐作
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小林克也さん 英語と歩いた83年(上)

 ラジオやテレビから声が聞こえると、すぐにこの人だとわかります。リズミカルな英語と味のあるトーク。DJの第一人者として知られる小林克也さん(83)は、今も多くのレギュラー番組を抱え、海外アーティストへのインタビューも続けています。戦後間もない頃にラジオで出会った「変な言葉」、高校時代に魅了されたスーパースター、人生初の英会話で臨んだ国家試験……自身の英語を培ってきたものについて尋ねると、意外な答えが返ってきました。小林さんが英語と歩んだ長い道をたどります。

 ――1941年のお生まれですが、初めて外国語と接したのはいつだったのですか?

 広島県福山市のおふくろの実家で暮らしていた小学生のとき、家にでっかいラジオがありました。高い台の上に置いてあったんですが、学校から帰ってイスの上に乗って、おもちゃで遊ぶようにラジオの丸ダイヤルを回すと、いろいろな国の言葉が聞こえました。

 戦後間もない頃で各国が盛んにプロパガンダ放送をしていて、英語、中国語、ロシア語、韓国語などが聞こえていました。それがおもしろくて、聞こえた外国語の口まねをするようになりました。

 結構うまくまねができたんでしょうね。当時の子どもたちがよくやった「ターザンごっこ」をするときには、必ず僕を呼びに来るんです。ターザン役はガキ大将で、僕はいつも悪者の役だったんですけど、ラジオで覚えた「変な言葉」を僕が言うと、みんなに受けました。

 タモリさんの芸に、いろんな国の人が一緒にマージャンをする「4カ国語マージャン」というのがありますが、僕もそんな感じだったんです。

「うわっ、何なんだよ、これは」

 ラジオでは、特にアメリカの進駐軍の英語放送は、電波が強くてよく聞こえました。音楽番組が大好きで、洋楽が僕にとっての流行歌でした。番組の間には、必ずコマーシャルや軍のお知らせもあります。

 当時の写真雑誌で紹介されていたアメリカの家庭は、冷蔵庫に「うわっ、何なんだよ、これは」と言いたくなるほど食べ物がたくさん入っている。ラジオから聞こえる英語の向こうに、圧倒的な物質的豊かさも感じていました。

 ――中学校で英語の授業が始まりますね。

【連載】小林克也さん 英語と歩いた83年 「語学の扉特別編」

中学では成績優秀、でも高校に入ると全く勉強しなくなった小林克也さん。そんな時、ある大スターの歌と出会い、「楽しくてしょうがない」青春時代を過ごします。小林さんが英語と歩いた83年の人生を、上中下3回の連載で振り返ります。

 英語の授業で、教科書の文章…

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この記事を書いた人
山根祐作
国際報道部
専門・関心分野
国際情勢、日中関係、中国、在日外国人、語学
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    大川千寿
    (神奈川大学法学部教授)
    2024年12月11日13時28分 投稿
    【視点】

    小林さんのこのインタビューからは、普段話すことばとは異なることばを習得するときの3つのポイント「よく聴くこと」と「興味・あこがれをもつこと」、「真似すること」が浮かび上がっているように感じます。 外国語ではありませんが、大阪出身の私は、小

    …続きを読む
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    BossB
    (天文物理学者・信州大准教授)
    2024年12月11日13時34分 投稿
    【視点】

    「プレスリーを聴いて英語を覚えたら、しゃべれるようになるのが早いよ」は、まさに言語習得の本質を表していますね。高校を卒業して日本を飛び出した昭和の反抗児だった私でさえ、ラジオやテレビのDJとして活躍されていた小林さんのことは知っています。

    …続きを読む