【アーカイブ】漱石が生きた「明治の精神」大江健三郎さんに聞く
この記事は2014年4月20日付朝日新聞朝刊特集面で掲載されたものです。
下記、当時の記事です
100年前の4月20日、朝日新聞紙上で夏目漱石の「こころ」の連載が始まりました。漱石が模索した小説の文体の構築や、考え続けた近代の問題は、現代の日本人にどう響くのでしょうか。ノーベル賞作家の大江健三郎さんが、「時代の精神」という言葉を軸に語ってくれました。
「こころ」を読んだのは高校2年生の時。友人のことを考えていたので、感銘を受けました。次はもう40歳でしたが、先生の遺書の言葉「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです」を引用してエッセーを書きました。
「こころ」は知識人の語りかけの形で、新しい文体を作っています。特別なルビに注意して音読すると東京弁のリズムがあり、生き生きした効果もあげている。時代を感じさせる風格はありますが、今現在の手紙として読めます。
最後の事件を物語った後、さらにスピードと強さを保って、十分に書き終え得るのが作家の実力です。それを「明暗」とともに、よく表現していると思う。
「こころ」はKの自殺で閉じられず、それをめぐって先生が考え感じたことを書き続けます。働き盛りの仕事の勢いに乗っている。漱石には不似合いですが、小説自体に流行作家を押し進めるエネルギーを感じます。
漱石は作品を載せる場所に敏感でした。朝日新聞に入社し、どうやって新聞小説を面白くするかを考え、読者を開拓した。毎年あれだけのものを書くとは、驚くべきことです。
今回「こころ」を読み直し、最終2章に動かされた。先生は40代後半のようで漱石と同年代、漱石の感じ方が直接反映している。改めて引きつけられたのは、明治天皇の崩御のところ。
〈夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。(中略)私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました〉
若い僕は、漱石にも国家主義的なところがあるのかと反発した。
しかし今回、注意深く読み返すと、違ったものに読めました。自分が生きた明治という時代の「人間の精神」を「明治の精神」と言っているのだと。天皇や大日本帝国ではなく、明治の人々の精神が、今までの日本の歴史の中で特別なものだと言いたいのだと。つまり漱石自身の精神をふくめて。
「時代の精神」というものがあると、はっきり表現し得た小説として、「こころ」は特別な作品だと思います。100年前の日本人の精神を知りたければ「こころ」を読めばいい。そういう小説だと強く感じています。
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漱石の「明治の精神」を僕自身にあてはめると、「戦後の精神」ということになります。
漱石は「こころ」の3年前、講演「現代日本の開化」で、日本人について「誠に言語道断の窮状に陥った」と語った。小説家は小説そのものの勢いに押されて、新しい時代への思い込みを書いてしまうことがある。「こころ」には時代に先んじるリアルな明察がある。先生は明治と共に自分の時代は終わったと感じているが、漱石自身大きい行き詰まりを感じていた。
100年後の今、僕は同じ思いでいます。
10歳で戦争が終わり、進駐軍のジープが村にやってきて子供心に恐ろしかった。ところが、12歳で日本国憲法が施行され、中学の三年間、憲法や教育基本法についてならった。「良い時代」になったと思った。
今の若い人には想像できないでしょうが、当時の混乱には何か生き生きと動いている感覚があった。個人の権利が保障され、僕も、東京あるいは世界へ出て行って何かやりたいと思った。戦後は明るかった。今79歳の僕にとっては、67年間ずっと時代の精神は「不戦」と「民主主義」の憲法に基づく、「戦後の精神」でした。
「集団的自衛権行使」を閣議決定の解釈変更で認めようというやり方は、不戦と民主主義の直接の無視です。「戦後の精神」が真っ向から否定されている。
日本が戦争に参加させられる近い将来への市民の驚きの声が低いのが不思議だった。普段は意識しないが、今の壮年の人たちの時代の精神と僕はズレてしまったのだろう、自分らの時代の精神は消え去った、と思いました。
しかし、希望が見いだせるのは、朝日新聞の世論調査で行使容認反対が63%と増えていること。時代の精神は簡単には忘れられてしまわない、とも考えました。
さて漱石は、「こころ」の出た年の講演「私の個人主義」で、英国の政治体制を解説しながら、「彼等(ら)(英国人)は不平があると能(よ)く示威運動(つまり、デモですね)を遣(や)ります」と語っていた。
私がもう一つ希望を感じるのもデモや集会に参加してです。安倍政権に不平がある人たちが集まってくる。僕も歩きながら、不戦と民主主義の憲法、つまり「戦後の精神」を譲らない老人でいようと思う。それが、今回「こころ」を読んだこととつながります。