珠洲宝湯、100年超の歴史更地に 喪失感超え「ここでまた銭湯を」
「今は笑ってもいいかな。あの時は、笑っちゃいけない気がしてたけれど」。橋元宗太郎さん(41)は表情を崩した。
明治中期から続く、石川県珠洲市の銭湯「宝湯」の4代目。かつて芝居小屋や遊郭も備えた本館は、能登半島地震で倒壊した。11月末に公費解体が終わり、更地には源泉が湧くパイプだけが突き出ている。
「ほとんど誰も住んでいない地域になって、ここで商売をやる必然性は普通ない。でも、珠洲が好きで、残って頑張っている人たちに、風呂に入ってほしいんですよね」
公衆浴場として再開し、歴史が詰め込まれた本館のような建物を、またつくりたいと思い描く。
「自分は被災者」変えた友 珠洲宝湯四代目、再起決めた写真家の一言
橋元さんは2月下旬、能登半島地震で倒壊した本館の歴史、建物を通して出会った写真家・石川直樹さんとの交流を語ってくれました。
無事だった簡易宿泊所の別館へお湯を引き、2月10日に地元向けの入浴支援を開始。3月25日から復旧事業者らの宿泊も受け入れた。ほどなく、「協力公衆浴場」が対象となる県の被災者向け入浴料補助制度から、簡易宿泊所は外れた。連日約15人を受け入れる宿泊所の運営に追われ、地元の役に立てない無力さを感じた。
喪失感も急に襲ってきた。本館解体の事前調査が終わった8月、三男と行った地元のおもちゃ屋で、「うち、畳むんで」とぼそっと言われた。子どもの頃、自身も父にウルトラマンのおもちゃをねだった店だった。
「感情がまひしてたんでしょうね。宝湯も同じで、なくなる現実が悲しいと、ふと気付いた」
今、更地を見て思う。「悲しいではなく、むしろすっきりした、これからだという気持ちです」