林真理子さんに聞く(2)
瀬戸内寂聴さんも林真理子さん(70)もエネルギーにあふれている。会えばミーハーな話題で盛り上がり、新しいことに積極的だ。寂聴さんは福井の短大の学長を引き受けたことがあり、林さんは日大の理事長を務める。林さんから見た寂聴さんとの共通点は。
――寂聴さんとは、どんな話をされていたんですか。
スキャンダルばかりです。特に作家のうわさ話ですね。あの人とあの人が実はああだったのよって。
週刊誌の企画で対談したとき、市民運動家で作家でもあった男性が亡くなったという話題になりました。すると、先生が急に、あの作家は女優とできていて同棲(どうせい)までしていたのよ、とぶちまけました。その女優は文学少女で作家が大好きだから、自分から言い寄っていったのよ、と。
もちろん実名です。そのまま週刊誌に載ったんです。何年かして、その女優に会ったら呼び止められ、怒られました。暴露したのは先生なのに、私まで恨まれちゃいました。
話を盛るのが大好きな寂聴さん
――ほかにはどんな思い出がありますか。
先生はズケズケとおっしゃるし、私のこともいろいろと言っていたと思いますよ。あるときは、私は夫との仲がうまくいかず、先生に相談したことになっていましたからね。「真理子さんから夫婦仲のことで相談を受けたのよ」って言いふらしていたんです。そんな相談をしたことなんて一度もないんですよ。
若い女性作家が男性編集者と一緒に寂庵(じゃくあん)を訪ねたことがあったそうです。そのあと、「真理子さん、聞いて。すごいのよ、あの作家は。自分の男を連れて会いにきたんだから」って。「先生、それは、たんに編集者じゃないですか」と聞き返しましたけど。
話を盛るのが大好きなんです。作家の性分ですね。私も盛るけど、先生ほどは盛りません。根本的に、みんなを喜ばせるのが好きなんです。明るい性格ですし、人が大好きですから。
みんながそれをわかっているので、腹も立ちません。「また先生ったら」って。先生のキャラクターです。それに、やさしさがありました。
――どんなときですか。
世の中からはじかれた人が好きでしたよね。寂庵にかくまってあげたり、よく対談したりしていました。
僧侶ですから、救ってあげたいという気持ちがあったと思いますが、それよりもミーハー心だったと思います。成功した人より、スキャンダルの渦中にいる人に会いたいと純粋に思っていたはずです。
見たこともないほど立派な提灯
――気づかいもすごかったと聞いています。
私の娘が生まれたとき、ベビー服をプレゼントしてくれました。101歳で逝った母の初盆のときには提灯(ちょうちん)を贈ってくださいました。私のふるさとの山梨では見たこともないほど立派な提灯です。
母と先生は同世代で、会うたびに母のことを心配してくれました。100歳を過ぎたら認知症の症状が出たので、そのことを伝えると、小さな声で「そう……」と言って、うつむいていました。先生は認知症になることを恐れていましたから。
――「私は元気という病気」とおっしゃっていました。
世の中には、生まれながらにして特別なエネルギーをもらった人がいます。先生はもちろん、私もその一人かなと思います。
そういうエネルギーのある人は、人への興味が異様に強いので、ミーハーにもなります。先生が私のことを多少気に入ってくださったのは、同じ匂いを身にまとっていたからだと思います。
――寂聴さんは1988~92年、福井県の敦賀女子短大(当時)の学長を務めました。林さんが2022年に日大の理事長を引き受けたとき、寂聴さんの影響はありましたか。
「寂聴さんを継ぐのは林さんね」とよく言われるそうですが、林さんは「それは違います」と否定します。記事の後半で明かされます。
福井の短大と日大とでは、規…