「政治にこびる軍人が増えた」 朴正熙元大統領側近がみた非常戒厳
韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が昨年12月3日に「非常戒厳」を出してから1カ月が過ぎました。1961年5月の軍事クーデターや72年10月の大統領特別宣言(10月維新)などで戒厳令を出した朴正熙(パクチョンヒ)大統領の側近だった康仁徳(カンインドク)元統一相に当時の状況について聞きました。
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――朴正熙氏はなぜ戒厳令を出したのでしょうか。
朴大統領は、戒厳令が必要とされる状況かどうかという判断が正確でした。61年当時は、社会が混乱し、子供までデモに参加するような状況で、ほとんど無政府状態になっていました。当時の尹潽善(ユンボソン)大統領自身、軍事クーデターについて「来るものが来た」と語ったほどでした。
戒厳令の準備もしっかりしていました。61年当時、第一線部隊などに戒厳令への反対論がありました。事前に、金鍾泌元首相ら陸士(陸軍士官学校)8期生らが中心になり、軍内部で綱紀粛正運動を行いました。当初は米国が賛成するかどうか危ぶまれましたが、金鍾泌氏が「韓国はこのままでは生き残れない」とした声明をまとめ、周囲の説得に成功しました。
――今回の非常戒厳はどうだったでしょうか。
韓国は北朝鮮と休戦状態にあ…
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