(社説)危険運転の処罰 社会常識 反映する法に
悪質な運転による死傷事故の処罰のあり方を議論している法務省の検討会に、報告書の素案が示された。
「常軌を逸した」と大方の人が感じる危険な運転で人命が失われても、危険運転致死傷罪ではなく、より罪が軽い過失運転致死傷罪が適用されるケースがある。適正な処罰の実現のために、議論を深めてもらいたい。
運転による死傷事故は「過失犯」として処罰された歴史が長かった。しかし1999年、東名高速で飲酒運転のトラックが乗用車に追突し、女児2人が死亡した事故をきっかけに、2001年に危険運転致死傷罪が新設され、危険で悪質な運転による死傷事故は「故意犯」として、従来の過失運転致死傷罪より厳しく臨むようになった。
前者の法定刑の上限は懲役20年。後者の懲役7年と比べ、格段に重く、致死罪は裁判員裁判の対象になる。
ただ、市民感覚でいう「危険な運転」と、危険運転致死傷罪の構成要件には相当の「ずれ」も見受けられる。
例えば飲酒運転の場合、法的に危険運転が認められるには「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」だったことが必要だが、度を越した酒酔い状態でも「事故までは正常な運転だった」として適用外になることがある。速度については「進行を制御することが困難な高速度」と法律に規定されているが、著しい高スピード走行でも進路の逸脱などがないとして、適用されないことがある。
検討会の素案は、危険運転の規定の見直しに言及。飲酒について血中アルコール濃度の数値基準を入れたり、高速度については一定以上の高速度で走る行為を一律に処罰対象としたりする案を示した。
事故の刑事責任は、周囲の状況など考慮すべき要素が多く、数値だけでは問いきれるものではないとはいえ、突出したケースについて具体的な基準を設定することは、社会常識にかなうのではないか。
運転する以上、だれもが加害者になりうる。過失でなく故意とされる線引きをだれにでもわかるようにする観点から、検討を進めるべきだ。
最近は、いったん過失運転として起訴した事件についても、検察側が危険運転に訴因を変更し、裁判所が認めるケースが続いている。司法による解釈の積み重ねによる変化も見守っていきたい。
いたましい事故は、厳罰化だけではなくせない。飲酒や薬物などの影響下での運転は決してしないという意識を、たえず社会で共有していくことも欠かせない。