第1回徳川慶喜家「私の代で家をしまう」 玄孫が背負った責任と墓の行方

有料記事大名家の墓じまい

森下香枝
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 全国で増える「墓じまい」。少子高齢化が進み、地縁・血縁が薄れていることで、日本社会に根付いてきた家制度が揺らいでいることが背景にある。家制度のシンボルともいえる将軍家や大名家も例外ではない。

 江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837~1913)と京都守護職として将軍を支えた松平容保(かたもり)(1836~93)。2人の縁者たちの墓じまいと絶家、すなわち「家じまい」を追った。

 慶喜は、大政奉還後の1868年、徳川宗家(将軍家)の家督を当時、わずか6歳の家達(いえさと)(田安徳川家)に譲り、静岡や東京などで隠居生活を送った。

 1902年になって、明治天皇から公爵の爵位を与えられ、宗家とは別に徳川慶喜家を創設することが許された。

 その徳川慶喜家で後継者が当主をつがず、「家をしまう」と決めたという。

 では、徳川慶喜家の墓所は今後どうなるのか。

 東京都台東区の都立谷中霊園に囲まれるように存在する墓所を訪ねた。土地の所有者は徳川家歴代将軍の墓がある寛永寺で、敷地は約300坪ある。

 高い柵や塀に囲われ、金色の葵(あおい)の紋があしらわれた鍵付きの門が立っていた。都指定の史跡だ。鍵は子孫が代々、管理してきた。

 慶喜の玄孫で現在、墓や史料…

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この記事を書いた人
森下香枝
編集委員|ここからTIMES編集長
専門・関心分野
終活、中高年のセカンドライフ、事件など
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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2023年9月29日11時0分 投稿
    【視点】

    自分の死後について、ひとり暮らしで身寄りがないという方や家族や親族に負担をかけたくないという方は少なくない。そんな方たちを中心に「自分自身を、どう弔い、葬ればいいのか」という問いと向き合ったり、「後を継ぐ人がいることを前提としない墓のあり方

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