近畿地方の大手スーパーで40年以上働いてきたkenkenさん(62)。
鮮魚売り場からスタートして、本部のバイヤーとして海外へ買い付けに行ったこともある。
47歳の時に初めて店長を任され、そこから役職定年になるまでの12年間、計7店舗で店長を務めた。
因縁をつけて2500万円を脅し取ろうとした客や、口の中から取り出した小銭で支払おうとした客。
多目的トイレで酒盛りをして酔っ払って寝た客など、信じられないような人たちをたくさん見てきた。
何かにつけて「店長を出せ」と言う客もいて、その都度対応。
店長になりたてのころは午前7時前に出社して、閉店業務を終えて店を出るのは午後10時半。
15時間勤務が当たり前で「15回先発完投」「孤立無援の孤高のエース」と自虐していた。
週休2日だったが、年末年始やゴールデンウィーク、土日の休みはまずとれない。
もともと、会社情報誌の「男性社員250人、女性社員3千人」という記述にひかれて応募した会社だった。
生活費を稼ぐ手段と割り切って、ずっと働いてきた。
「スーパーで積んできたキャリアじゃ、他へ行ってもつぶしがきかない」とも思っていた。
60歳で定年した後、再雇用の道を選び、妻とは「65歳までは働く」と話していた。
老後の蓄えのことを考えると、それがベストだと考えていたから。
ふと、口をついて出た言葉
4月13日は土曜日で、正午からの勤務だった。
8歳年下の妻は看護師で、この日は休み。
一緒に朝食をとった後、テレビ朝日系の「朝だ!生です旅サラダ」を見ながらkenkenさんが、ふとつぶやいた。
「仕事、辞めてもいいか?」
言おう言おうと思っていたわけでも、意を決して言ったわけでもない。
今思えば、少し前に読んだ本の影響があったのだと思う。
「人間って死ぬ時が一番お金を持っている。それは本当に幸せか?」
その一節が心に残っていて、65歳まで働くことに疑問を感じ、口をついて出たのだと思う。
すると妻は、いつも通りの口…